大阪城に残る軍事遺産(9)1トン爆弾の直撃まぬがれた大阪城天守閣

「大坂城の敷地は、ほぼ大阪砲兵工廠でしたから米軍に狙われる。われわれの観光のために天守閣を残してくれたわけではありません」と案内役の三宅宏司さんは語り始め、「天守閣の残ったのはたまたまです」と強調した。

終戦前日の第8次大坂大空襲では、京橋口多聞をはじめ、二番、三番、伏見、坤の四つの櫓などが焼失した。

天守台の北壁から東壁にかけてみられる石垣のずれ(2021年撮影)

天守閣への直撃は避けられたが、天守台の東北隅と西南隅にそれぞれ1トン爆弾が落ちた。東北隅は直撃をまぬがれたものの天守閣の北数メートルの地点に落ちた爆弾で土台基部がえぐられ、石垣が傾いた。天守台北壁から東壁にかけてみられる石垣の「ずれ」はこの時のもので、1964(昭和39)年にひずみの進行を止めるための工事が行われた。

西南隅は石垣下部の一部が吹き飛ばされた。穴が開いたようになり、補修している。

天守台の西南隅は石垣下部の一部が吹き飛ばされ、補修した=4月2日、大阪市中央区

 

参考記事:大阪城に残る軍事遺産(1)大阪砲兵工廠 大村益次郎の「大阪軍都構想」

天守閣の屋根にも無数の焼夷弾が落とされ、まさに危機一髪だった。

また、和歌山城から本丸に移築された紀州御殿は空襲をまぬがれたが、戦後、大阪城に入った占領軍の失火で1947(昭和22)年に全焼した。

 

 

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