大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」で9月12日、開館30周年を記念する式典があった。大阪空襲死没者を追悼する「刻(とき)の庭」に新たに判明した101人の名前を記した銘板が公開された。
太平洋戦争末期、大阪は50回を超える空襲に見舞われ、死者・行方不明者は1万5000人以上と言われている。
戦後、「大阪戦災傷害者・遺族の会」代表の伊賀孝子さん(89)らが銘板のもとになる名簿を作成。センターが府の委託で本格的な調査を行い、判明した9000人余の名前を「刻の庭」のモニュメント銅板に刻銘している。
「あった」。従妹と出席した坪田恭代さん(78)=奈良県生駒市=が真新しい銘板の中から祖母の名前を見つけ、思わず声を上げた。さした指先には「林リュウ」との名前が……。
76年前の3月13日、一家は大阪市東区(現中央区)常磐町で大空襲に見舞われ、祖母が亡くなった。当時、2歳だった坪田さんに祖母の記憶はないが、「よくかわいがってくれた」と聞かされてきたという。
「数年前にたまたまピースおおさかを訪れ、銅板に祖母の名前がないことを知り、入れてもらえるようお願いしていたのです。祖母が生きていた証ができて良かった」
銘板の更新は10年ぶりで、刻銘された名前は計9089人となった。