その後、会期終了直前に再開したが狭き門だった。大阪の実行委は、このとき抽選に外れた市民らが結成。「関西で作品に出会いたい」という思いが原点だった。
大阪の会場には写真や絵画、オブジェなど約30点が並べられた。「平和の少女像」や昭和天皇に関する映像作品も展示された。
本来ならば東京、名古屋、そして大阪と巡回する企画だったという。しかし、6月の東京は民間のギャラリーで予定されていたが、大音量の街宣活動による妨害で延期。名古屋は7月6日から1週間の予定で始まったが、3日目、爆竹のようなものが入った郵便物が会場の市立ギャラリーに届き、市側が臨時休館に。事実上の閉幕に追い込まれた。
●突然の利用取り消し
実行委は3月、大阪労働協会などでつくる施設の指定管理者から利用承認を得た。準備を重ね、開催1カ月前の6月15日、メディアに公表した。
ところが、その10日後の25日、突然、施設側から承認を取り消すとの連絡が届いた。抗議の電話やメールが約70件あり、街宣もあったことから「衝突が起こる恐れがあり、安全確保が極めて困難」なのだという。
しかし、エル・おおさかは労働組合や市民運動グループなどに幅広く使われる施設。催しによっては過去にも街宣活動が行われたり、抗議が寄せられたりすることもあった。 「晴天のへきれきでした。法的な手段に訴え、表現の自由と集会の自由を守らなければいけないと思いました」と実行委員の一人。
実行委は30日、「具体的な危険が差し迫った状況ではなく、表現の自由を保障した憲法21条に反している」などとして処分の取り消しを求め大阪地裁に提訴、処分を一時的に止める執行停止も申し立てた。
大阪地裁は7月9日、実行委側の申し立てを認め、会場の利用を認める決定を出した。森鍵一裁判長は「(施設への抗議行動は)会場の安全を脅かす具体的な危険が認められない」とした上で「正当な理由がない拒否は憲法の保障する表現の自由の不当な制限につながる」と判断した。
施設を所有するのは大阪府。 吉村洋文知事は「施設内には保育施設もある。非常に危険なことが起きる可能性だってある。子どもたちをリスクにさらすのはおかしい」などと決定に反発。即時抗告すべきだとし、「指定管理者には僕の考えを伝える」とも述べた。質問を繰り返す毎日新聞記者には「そんなに不自由展を推すなら、毎日新聞の会議場を使ったら」と言い放った。
ちなみに吉村氏は19年のトリエンナーレ企画展について「反日プロパガンダ」と指摘。芸術祭実行委員長の大村秀章知事を「辞職相当」などと批判した。当時、吉村氏は大阪市長。在職中、「慰安婦像」を設置したサンフランシスコ市との姉妹都市提携を一方的に破棄したこともある。
施設側は知事の考え通り、地裁決定を不服として即時抗告。だが15日、棄却された。
「これで府の対応が変わりました」と実行委の代理人弁護士は話す。「これまで『マンパワーが足りない』と言っていましたが、府職員を多数投入し、見回りを強化しました。さらに大阪府警の会場警備も力が入りました」 施設側はなおも最高裁に特別抗告したが16日、棄却され、施設の利用を認めた判断が確定した。「完勝」の朗報は初日を迎えた会場に届き、実行委員らの目をうるませた。吉村知事は記者会見で「法治国家である以上、裁判所の決定には従わざるを得ない」と悔しさをにじませたという。
●攻撃される芸術とは
16日朝の開幕直前、実行委員が「少女像」の傍らで会見に臨んだ。
「『反日』と攻撃される芸術はどんなものか、自分自身も見て確かめたかったし、見ていただきたいです。この少女がなぜ『反日』なのでしょう。なぜ攻撃されるのでしょうか。自分たちと考えが違うから潰す、ではなく、まずは見て作品と対話してほしい。そうすれば違う考え方も出てくるのではないでしょうか」
吉村知事の言動についても質問が飛んだ。実行委員はこう明快に答えた。
「このような展示会が安全にできる社会を作っていくのが為政者の責任だと思います。私たちは表現の自由を求めて展示会を開こうとして、攻撃する側は暴力で潰そうとします。『だから危ないからやめます、貸しませんよ』というのは攻撃する側に加担すること。権力を持つ人間は憲法を守る責任があるのだから、どういう理由があろうと卑劣な手段は許さないという姿勢を示してほしい」
会場には関西はもとより遠方から訪れた人たちもいた。午前8時前から列に並んだという東京の女子大学生(20)は、東京展が延期になったため来場。周辺のものものしい警備や右翼団体の街宣に恐怖を覚えたという。「実際に自分で見て判断したかった。アート作品なのになんで非難されないといけないのかわからない。ゼミで表現の自由について学んでいるので、仲間と語り合いたい」と話した。