ジャーナリストの黒田清さんが死去して20年目の夏。すぐ上の兄、黒田脩さんが8月31日、老衰のため兵庫県西宮市の施設で亡くなった。91歳だった。

戦争で5年間途絶えていた「全国中等学校優勝野球大会」(現・全国高校野球選手権大会)が復活したのは、敗戦から1年後の1946年8月15日。甲子園球場が米軍に接収されていたため、同じ西宮市の西宮球場での開催となった。

全国大会の第一試合は京都二中(現・京都府立鳥羽高)―千葉・成田中(現・成田高)戦。京都二中の最初の打席に立ったのが4年で三塁を守っていた脩さんだった。

「試合前のベンチで監督から『クロ、1番でいくえ』と言われたときは、『えー、そんな無茶な』とつぶやいた。京都大会では打順は下位だったし、足も速くないからね」

球場は超満員、スタンドは白いシャツを着た観客で埋め尽くされていた。

「絶対に振ったろ」と思って入った第1打席。緊張のあまり、1球目、2球目とも真ん中の直球に手が出なかった。2ストライクと追い込まれながら選球眼の良さから四球を選んで出塁する。

「バットを振ったかどうかも覚えてないねん」と生前、苦笑した。

京都二中は1対0で成田中を退け、決勝まで駒を進める。相手は優勝候補の浪華商(現・大体大浪商高)。関西勢同士とあって、大勢のファンがつめかけた。スタンドには弟の清さんの姿もあった。

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