浪商のエース平古場昭二さん(故人)から、脩さんは2安打を放ちながらも敗れ、準優勝に輝いた。その時の感想を、脩さんはこう語っていた。

「負けた悔しさよりも、やり遂げたうれしさの方が大きかった。平和で野球がやれたという喜び、スタンドの歓声の中でプレーできたといううれしさは今も忘れられんなあ」

脩さんの父親は大阪で製粉会社を営んでいた。45年6月の大阪大空襲で北区天満橋の自宅が全焼したため、一家は京都府長岡京市へ転居。脩さんは京都二中に転校する。

戦後初の全国大会での先頭打者として、高校野球史にその名を刻んだ脩さん。翌年には、戦後初めて甲子園球場で開催された春の選抜大会にも出場している。

父親の後を継ぎ、大阪食糧卸株式会社社長、会長を歴任。甲子園球場近くに住み、球児を見守り続けながら、関西六大学野球連盟(現・関西学生野球連盟)理事長も務めた。

私たち「新聞うずみ火」にとって、脩さんは陰になり日向になり守ってくれた恩人である。忘年会には「僕はお酒がアカンから」と、参加者分のクリスマスケーキを差し入れしていただいた。最後にお会いしたのは2年前の夏。100回を迎える「全国高校野球選手権大会」に関してインタビューさせていただいた。脩さんは「戦後に大会が復活して中断せずに100回大会を迎えられるのは平和だからこそ。野球ができる喜びをかみしめ、これからも1回、1回と積み重ねていってほしい」と語っていた。

黒田清さんの長女で脩さんの姪にあたる東峰しげ子さんはこう振り返る。

「2年前の卒寿の祝いの1カ月後に脳梗塞で倒れ、退院して自宅療養中でした。今年に入り、リハビリを始めようとしていた矢先、新型コロナウイルスが蔓延し、ままならないまま体力を失ってしまい入院しておりました。

野球に対する思い入れはひとしおでしたが、この夏の交流試合を病室で見届けた後、ゲームセットと旅立ちました。最後まで粘り強く闘ったそうです。

こんな時ですので、家族葬として通夜と葬儀を執り行いました。『黒田8兄弟姉妹』の最後の1人でしたので、『向こうへ行ったら皆によろしく!』と言ってお別れました」

葬儀は家族葬で営み、お別れの会は9月29日(火)午後1時~大阪市北区のリーガロイヤルホテル大阪で開かれる。(矢野宏)

 

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