日韓対立で生野コリアタウン 影落とす 歴史認識

日韓関係が泥沼化している。徴用工問題をめぐる政治的対立が経済活動に飛び火し、日本が輸出規制強化に踏み切って以来、「報復の連鎖」がエスカレート。航空便の運休・減便が相次ぎ、市民レベルの文化交流にも暗い影を落としている。日韓両国の懸け橋として友好関係を作り上げてきた在日コリアンはこの現状をどう見ているのか。日本最大の韓国食料品マーケットである大阪市生野区の生野コリアタウンを訪ねた。(矢野宏、栗原佳子)

生野コリアタウンは、大阪市生野区桃谷にある御幸通商店街とその周辺の通称。JR環状線鶴橋駅周辺に広がる国際市場を抜けて徒歩10分ほど。住宅街の真ん中にあり、東西約500㍍の通りには韓国食材店や韓流ショップなど120店舗あまりが並んでいる。その誕生は、1919(大正8)年に始まった平野川改修に朝鮮人を従事させたことにまでさかのぼる。5年後、済州島と大阪を結ぶ定期連絡船「君が代丸」就航により渡航者が増えたことで、朝鮮の食材販売などで儲けた人たちが店を構えるようになる。戦後、朝鮮市場と呼ばれた商店街はコリアタウンへと姿を変えた。
日本での終戦の日、韓国では独立を取り戻した「光復節」2日後の8月17日午後。かんかん照りの猛暑日にもかかわらず、コリアタウンは夏休みということもあって、食べ歩きを楽しむ若者たちや家族連れでにぎわっていた。

JR環状線鶴橋駅周辺に広がる国際市場を抜けて徒歩10分ほど。住宅街の真ん中にあり、東西約500㍍の通りには韓国食材店や韓流ショップなど120店舗あまりが並んでいる。その誕生は、1919(大正8)年に始まった平野川改修に朝鮮人を従事させたことにまでさかのぼる。5年後、済州島と大阪を結ぶ定期連絡船「君が代丸」就航により渡航者が増えたことで、朝鮮の食材販売などで儲けた人たちが店を構えるようになる。戦後、朝鮮市場と呼ばれた商店街はコリアタウンへと姿を変えた。
日本での終戦の日、韓国では独立を取り戻した「光復節」2日後の8月17日午後。かんかん照りの猛暑日にもかかわらず、コリアタウンは夏休みということもあって、食べ歩きを楽しむ若者たちや家族連れでにぎわっていた。

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