日本軍「慰安婦」をめぐる問題をいち早く報じ、激しいバッシングにさらされた元朝日新聞記者の植村隆さんと、植村さんを支える市民らの闘いを記録したドキュメンタリー映画「標的」が大阪・九条のシネヌーヴォ、横浜シネマリンで公開された。監督は元RKB毎日放送ディレクターの西嶋真司さん。歴史の真実を伝えた記事は、なぜ「捏造」とされたのか。特定のメディアを攻撃した背景に何があるのか。なぜ植村さんたちは理不尽な攻撃に屈しなかったのか。(新聞うずみ火 栗原佳子)
発端は1991年8月11日付大阪本社版朝刊社会面トップに掲載された記事だった。
辛い体験を語り始めた韓国人元慰安婦の女性を「挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が聞き取り調査したという内容。植村さんは当時、朝日新聞大阪社会部の記者で、ソウルで証言テープを聞き記事にした。
女性は3日後、記者会見で金学順(キム・ハクスン)の実名を明かす。「民間業者が連れ歩いていた」と軍関与などを否定する日本政府の答弁に憤りカミングアウト。被害者が沈黙を破る契機を作った。
金さんらは日本政府を相手取り、謝罪と賠償を求め提訴、93年、日本政府は「河野談話」で軍の関与や強制性、「心からのお詫びと反省」を表明した。日本軍「慰安婦」は教科書にも記述された。
◆朝日新聞だけに攻撃
2014年1月末の「週刊文春」に〈慰安婦捏造 朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に〉と題した記事が掲載された。東京基督教大の西岡力教授は91年の植村さんの記事に触れ、「『挺身隊の名で戦場に連行され』とありますが、挺身隊とは軍需工場などに勤労動員する組織で慰安婦とは全く関係がありません」「捏造記事といっても過言ではありません」などとコメントしていた。
植村さんが記事にした当時、韓国で「挺身隊」は日本軍「慰安婦」と同じ意味で使われ、日本の他のメディアも、被害当事者たちも同様の表現をしていた。しかし執拗な攻撃が始まる。植村さんは同年春、早期退職し、神戸の大学で専任教授に就く予定だったが、内定は取り消された。
バッシング対象になった記事はもう1本。金さんらの訴訟の弁護団の聞き取りに同行、証言を伝えた91年12月25日付の聞き書きである。
14年8月5日、朝日新聞は慰安婦問題の検証記事を掲載した。「慰安婦狩りをした」などとする故・吉田清治氏の証言について虚偽だとして記事を取り消す一方で、植村さんの記事は「事実の捻じ曲げはない」と断定した。
しかしバッシングは激しさを増す一方。一部のメディアは攻撃に加担した。非常勤講師に就いた北海道の北星学園大、高校生の長女にまで及んだ。15年1月、植村さんは東京地裁に西岡氏と文藝春秋社を相手に名誉棄損の裁判を起こす。2月にはジャーナリストの桜井よしこ氏と新潮社など3社を札幌地裁に提訴した。
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