軍事独裁政権下の韓国で1981年、「北朝鮮のスパイ」にでっち上げられ死刑判決を受け、17年間獄中生活を余儀なくされた大阪市生野区の在日韓国人1世、孫裕炯(ソン・ユヒョン)さん(2014年、84歳で死去)の再審で1月27日、韓国大法院(最高裁)は検察の上告を棄却、孫さんを無罪としたソウル高裁判決が確定した。事件から41年。妻の夫辛花(プ・シナ)さん(91)、次男の明弘(ミョンホン)さん(63)が孫さん亡き後、再審を担い、無念を晴らした。(新聞うずみ火 栗原佳子)
判決文などによると、孫さんは81年4月25日早朝、ソウル市内のホテルから情報機関の国家安全企画部(安企部=現・国家情報院)に令状もなく拘束された。当時52歳。仕事の取引先、大阪興銀信用組合のゴルフコンペ参加のため渡航、その後は済州島で妻の夫辛花さんと義兄の遺骨埋葬に立ち会う予定だった。
済州島入りしていた夫さんも安企部に連行されソウルへ。安企部監視下で孫さんに引き合わされた。「北朝鮮に入国した嫌疑をかけられている」という。夫さんは「家に戻り古いパスポートを探し、待機している人物に渡せ」という安企部の指示通りにした。
「これで疑いが晴れ、すぐに日本に返してもらえるだろう」と安堵したのも束の間。孫さんはなかなか帰ってこなかった。それどころか6月9日、安企部が事件を発表。「韓国やマカオで北朝鮮のスパイとして活動をした」などという国家保安法違反の容疑だった。拷問によって虚偽の自白を強い、古いパスポートはスパイ活動の証拠とされ、自宅からは乱数表などが見つかったことにされた。済州島の親戚3人も逮捕され、夫さんと長男もほう助罪に問われた。
◆韓国籍は「偽装」と
孫さんは29年、済州島で生まれ14歳で大阪へ渡った。50年、済州島出身の両親を持つ夫さんと結婚、2男3女を授かり、2人で民族教育を守る活動にも奔走した。65年の日韓基本条約は、結果的に在日社会にも「38度線」をもたらした。孫さん、夫さんは悩んだ末に「韓国籍」を選んだ。孫さんの高齢の両親が暮らす済州島と往来できるよう「朝鮮籍」から変更したが、起訴状では「偽装転向」とされた。父親の葬儀や親族を訪問したこともスパイ活動のための「潜入・脱出」とされた。
裁判で孫さんは無罪を主張したが1、2審とも死刑判決。82年7月、大法院は高等法院へ差し戻したが、83年3月、死刑判決が確定した。孫さんは糖尿やぜんそくの持病があり、胃がん、咽頭がんの治療中の身だった。
84年8月15日、植民地支配からの解放を記念する「光復節特赦」で無期懲役刑に減刑、その後、懲役20年、残余刑2分の1の減刑となった。文民の金泳三政権が誕生し長期収監中の在日政治犯2人が仮釈放されたが、孫さんの仮釈放は98年3月、金大中大統領の就任に伴う特赦を待たねばならなかった。同年5月、17年ぶりに家族の待つ大阪に帰還した。
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