黒田脩さん「お別れの会」

戦争で途絶えていた「全国中等学校優勝野球大会」(現・全国高校野球選手権大会)で戦後初の1番打者となり、8月31日に91歳で亡くなった黒田脩さんのお別れの会が9月29日、大阪市北区のリーガロイヤルホテルで開かれ、野球関係者ら400人が別れを惜しんだ。

準決勝戦の前、監督を囲んで円陣を組む京都二中

家業の大阪食糧卸株式会社と黒田家の共催。黒田さんは2000年に他界したジャーナリストの黒田清さん(享年69)の兄でもある。

大阪市北区天満の出身。戦時中の大阪大空襲で自宅が全焼したため、一家は京都府長岡市へ疎開。転校した京都二中(現・府立鳥羽高校)で野球部に入る。

終戦翌年の1946年8月15日、西宮球場で復活した全国大会の開幕試合で京都二中の1番打者として最初の打席に立った。47年には戦後初めて甲子園球場で開催された春の選抜大会にも出場した。

同志社大学では春季リーグで首位打者に輝き、主将も務めた。旧関西六大学野球連盟(現・関西学生野球連盟)理事長に就任。82年のリーグ再編に尽力するなど、学生野球の発展に務めた。

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