全国各地で空襲を語り継ぐ活動をしている人たちが集う「第49回空襲・戦災を記録する会全国連絡会議・山梨大会」が8月31日と9月1日、甲府市の山梨学院大で開かれた。21都道府県から参加した約100人が甲府空襲の体験者による講演や各団体の実践報告に聞き入った。(矢野宏)
全国連絡会議は空襲被災都市を巡回して年1回開催されており、各地で戦争の惨禍を記録・発信し続けている団体や個人が活動を報告する。
まず、代表幹事の今村修さんが「戦後74年、空襲体験者が少なくなる中で、亡くなった方の名前もわからないなど、実態はまだ明らかにされていません。全国で活動されてきた皆さんの経験に学び、交流することは大きな意義があると思います」とあいさつした。
甲府空襲は1945年7月6日深夜から7日未明にかけて130機のB29爆撃機が来襲、次々に焼夷弾を投下する無差別爆撃によって市街地の74%が焼け野原となり、1127人が犠牲となった。
「山梨平和ミュージアム」理事長の浅川保さん(73)が記念講演の中で「空襲が始まってから終わるまで、1機の戦闘機も迎撃のために飛び立たず、1発の対空射撃も行われませんでした。市街地のほとんどが灰燼に帰した中、連隊司令部や兵舎は無傷だったのに、消火に駆けつけた日本兵はごくわずか。軍が市民を守ろうとしたかどうか疑問が残ります」と説明した。
甲府空襲で家を焼け出された向山富貴子さん(85)は、8年前に他界した兄・義一さんが描き残した体験画を紹介しながら当時を振り返った。
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