兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者2人が死傷した事件から5月3日で35年。支局1階には祭壇が設けられ、関係者や市民らが凶弾に倒れた小尻知博記者(当時29)の遺影に手を合わしていた。今年も新型コロナウイルス対応のため記帳台は設けず、3階の襲撃事件資料室の一般開放も見送られた。(新聞うずみ火 矢野宏)
事件は1987年5月3日夜に発生。目出し帽をかぶった男が侵入して無言のまま散弾銃を発砲し、小尻記者が死亡、犬飼兵衛記者(当時42、2018年に死去)が重傷を負った。
「赤報隊」を名乗る犯行声明が通信社に届いたのは、事件から3日後のこと。声明文には、1月に東京本社の窓に散弾銃が撃ち込まれた事件も自らの犯行だとし、「警告文」を無視されたとして「天罰をくわえる」と記されていた。
87年9月には名古屋本社の社員寮に散弾銃が撃ち込まれた。通信社に届いた声明文には「反日朝日は 五十年前にかえれ」と書かれていた。50年前とは37年で、日中戦争が始まった年だった。
さらに、翌88年3月には静岡支局で時限式爆弾が仕掛けられる事件が発生。これを含めて一連の朝日新聞襲撃事件が「広域重要事件116号」に指定されたが、いずれも未解決のまま2003年3月にすべての事件で時効が成立した。
2000年7月に亡くなったジャーナリストの黒田清さんは生前、阪神支局襲撃事件について「あの銃弾は朝日新聞を撃ち、言論の自由を撃ち、憲法を撃ったのだ」と語り、「平和憲法があるだけで安心してはいけない。守る努力をしなくてはいけない」と訴えていた。あれから35年、改憲への流れはますます加速している。