大阪城に残る軍事遺産(6)中国から略奪したこま犬、平和のシンボルに…

再び、説明版の戻ってみよう。

大阪城に置かれたこま犬=4月7日、大阪市中央区

〈「戦後も長らく山里口出枡形(やまざとぐちでますがた)の東付近に置かれていたが、昭和59(1984)年、中国政府により改めて大阪市に寄贈されることになり、現在の場所に移された。以来この「こま犬」は、両国人民の友好関係を促進し、友誼を深める象徴となっている〉

参考記事:大阪城に残る軍事施設(5)このまま朽ちるのを待つのか…大阪砲兵工廠表門と守衛詰め所

大阪城に置かれたこま犬=4月7日、大阪市中央区

三宅さんはいう。「これでは、こま犬がなぜ運ばれてきたのかわからないし、侵略戦争の反省もありません。こま犬の正しい由来を知らせるべきです」

大阪狛犬会は2014年5月、当時の橋下徹・大阪市長に「狛犬の正しい由来と日中不再戦の決意が明記された説明板設置を求める陳情書」を提出したが、拒絶されたという。

 

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