ビキニ事件から68年。存命する第五福竜丸の元乗組員は2人だけになった。当事者に代わって語り継ぐことがいかに重要かを改めて痛感させられる。(新聞うずみ火編集委員 高橋宏)
さて、ビキニ事件の象徴的存在となっている第五福竜丸だが、その乗組員や家族は健康被害をはじめとした苦痛だけではなく、政治決着により、さらに深刻な苦悩を負わされた。当時、第五福竜丸の乗組員のみ、見舞金などが支給されたからだ。同様の被害に遭っても補償されない人々の、羨望あるいは嫉妬の目にさらされることになる。その結果、沈黙せざるを得なくなってしまったのだ。
その沈黙を破り、自らの体験を語り始めたのが、冷凍士だった大石又七さんだ。語り部として活動する大石さんに寄り添ってきた、第五福竜丸展示館学芸員の市田真理さんは「海難事故で亡くなっても補償されない時代、『騒ぎをおこしたうえにお金までもらったのか』と嫉妬されたうえ、被ばくに対する無理解や差別もあって、被害者はみな沈黙してしまいました。そんな中で自らの体験を語ることは、大変な決意だったと思います。一方で、自分が話さなくては、なかったことにされてしまう、忘れられてしまう危機感もあったのだと思います。何も言えずに死んでいった仲間たちの分も語らねば、と大石さんは闘病しながら講話を続け、700回以上に及びます」と振り返っている。
参考記事:ビキニ事件68年(中)被爆したのは「第五福竜丸」だけでない
市田さんは「命を削るようにして語り続けた大石さんの思いをつながなくては」と語る。自らの体験を語り続けた大石さんが、昨年3月にこの世を去ってしまったからだ。現在、存命する第五福竜丸の元乗組員は、2人だけになっている。当事者に代わって語り継ぐことが、いかに重要かを改めて痛感した。まもなく68年目の「ビキニ・デー」がやってくる。あの日に起こったこと、今も続いている被災者の苦悩に思いを馳せつつ、核廃絶の決意を新たにしたい。