見送られた空襲被害者救済法 「義足代にもならないけれど」

民間の空襲被害者を救済する法案提出がまたも見送られた。国は、旧軍人や軍属にはこれまで60兆円の補償や援護をする一方、民間人は補償がない。東京や大阪の国賠訴訟はいずれも最高裁で敗訴が確定、立法による解決を促したが、今も実現していない。今年は戦後76年。残された時間はそう長くない。(矢野宏)

 

「先の国会で成立するものと思っていましたが、提案すらされず、残念です」
大阪大空襲の被害者らが国に謝罪と損害賠償を求めた「大阪空襲訴訟」の元原告、大阪市東住吉区の藤原まり子さん(76)は肩を落とした。
民間の空襲被害者を救済する議員立法を目指す超党派の国会議員連盟(空襲議連)は昨年10月、空襲で障害やケロイドを負った人を対象に1人一律50万円を支給することを柱にした法案をまとめた。

3月には空襲議連の河村建夫会長が自民党の二階俊博幹事長に面会。法案成立を訴えた際、二階幹事長は「われわれの代でやらないといけない課題だ」などと答えたという。野党は法案提出についてすべて同意しており、藤原さんらも「今度こそは」と期待を寄せていた。だが、自民党内で「戦後補償は解決済み」と異論が出て、法案提出できぬまま、通常国会は6月16日の会期末を迎えた。

「50万円では、義足代にもなりません。それでも私たちにはもう時間がないのです」


藤原さんは、今でも古い診断書を大切に保管している。
「いずれ役に立つ時がくるかもしれないから」と母親から手渡されたものだ。病名は「左下腿火傷」で、「昭和20年3月13日、焼夷弾により第三度火傷にして加療せしことを証す」と記されている。

戦時中、民間の戦災被害者を救済する「戦時災害保護法」があったが、敗戦の翌1946年に「軍事扶助法」や「軍人恩給法」とともに廃止された。日本が占領体制から脱した52年、旧軍人や軍属らを救済する「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が制定され、翌年には軍人恩給も復活した。その後、未帰還者や引揚者も援護の対象となり、原爆被爆者や中国残留邦人に対する援護法も制定されたが、空襲被害者だけが置き去りにされている。

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