安倍晋三首相が新型コロナウイルス対策を放り出し、「森友・加計」問題をはじめとした様々な疑惑に対する責任追及から逃れるかのように突然辞任した。そして安倍政権の要として、ひたすら「臭い物にふたをする」かのような役回りを演じてきた菅義偉官房長官が、新しい首相の座に就いた。7年8カ月に及ぶ長期政権は、まさに「フクシマ後」を歩んできたわけだが、安倍政権は何をもたらしたのだろうか。さらに菅政権は、何をもたらすのだろうか。
福島第一原発事故は、菅直人首相(当時)が率いる民主党政権下で起こった。未曽有の大事故を起こした責任が当時の政権にあるかのような言説を耳にすることがあるが、それは大きな間違いである。事故原因の数々は、民主党政権に代わるまで長きにわたって政権を担当してきた自民党の原子力政策に起因するものだ。
忘れてはならないのは、2006年の国会において、巨大地震の発生に伴う原発の安全性確保に関する質問に対し、「全電源喪失はあり得ない」と答弁したのは外ならぬ安倍首相(当時)だ。もし、この時に示された懸念に真摯な対応をしていれば、少なくとも全電源喪失による過酷事故には至らなかったのである。だが、そうした事実も「事故は想定外」の大合唱にかき消され、何ら責任を問われることもなく、今日に至っている。
民主党政権最大の落ち度は、菅内閣を引き継いだ野田佳彦内閣が11年12月、早々に「収束宣言」をしたこと、そして翌年4月に停止中だった大飯原発3、4号機を、「暫定安全基準」で再稼働する決定をしたことであろう。安倍首相はことあるごとに、民主党政権を「悪夢」扱いしてきたが、野田政権によって事故前の原子力政策がすんなり継承できたことを忘れている。東京オリンピック誘致にあたって、13年9月に安倍首相が世界に向かい、福島第一原発が「アンダーコントロール」だと宣言できたのは、野田政権の「功績」だと言えよう。
安倍首相が政権に返り咲いた12年12月以降、原子力政策は完全に事故前の状況に戻ってしまった。13年7月には原発の新規制基準が施行され、再稼働にはずみがつく。この新規制基準によって、原発の安全性が確保されたかのように錯覚するかもしれない。だが、あまりにもいい加減だった従来の基準を、本来考慮すべきであった最低限のものに調えたに過ぎず、これに適合したからといって安全が保障されるわけではない。
そもそも、原発を稼働させることに伴う問題は、巨大事故のリスクだけではない。これまでに生み出した膨大な放射性廃棄物(核のゴミ)の処理・処分の問題があり、それが未だに解決されていないのだ。にもかかわらず、14年4月に閣議決定された第4次エネルギー基本計画では、「依存度を可能な限り低減する」としながらも、原発は「重要なベースロード電源」と位置づけられた。18年に閣議決定された第5次基本計画では、原発の新増設こそ盛り込まれなかったものの、脱原発は全く想定されていない。
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