内部被ばくの考え方
被曝には外部被曝と内部被曝がある。私は福島の食品の放射能汚染レベルを計測してきた。福島県や農協などは米を全部検査して「国の基準以下だから安全。安心して食べて」という。基準とは米の場合1キロあたり100ベクレル以下。私のスタンスは、明らかに基準はクリアしているが汚染はあるよ、汚染レベルがどれくらいか承知して、食べるかどうかは消費者が判断したらいいのではないかということ。米は二本松で有機農業をしている人から毎年もらっているが、11年は1キロあたり200ベクレルあったのが、最近では1ベクレル以下。私は内部被曝は神経質になるレベルではないという言い方をしている。
ただ飯館村のシイタケは1万5千、マツタケは1万4千ベクレルある。また大分の干しシイタケは6.1ベクレル。これは60年代の米ソの核実験由来だ。北海道の牛乳0.02ベクレルも核実験由来だ。
100ベクレルのセシウムを身体に取り込んだら、だいたい1マイクロシーベルトの内部被曝になる。さっきの二本松の米が1キロあたり1ベクレルだとして、その米で100ベクレル取り込もうとしたら、100キロになる。100キロの米を食べ、やっと1マイクロシーベルトだから、そう神経質になることはない。
これから50年、100年、放射線汚染とどう向き合っていくか。汚染レベルがどれくらいかをきちんと見積もり、被曝がどれくらいか、それに伴うリスクはどのくらいかを合わせて考えること。私は専門家として皆さんにきちんと説明していく役割だと思う。
私は飯館村の被曝評価で、もしがん死が出るとしたら村人の3人から18人というレポートを作ったことがある。これに対し、環境省のお役人が「リスコミの邪魔になる」と。 リスクコミュニケーションとは、専門家の責任において、やったことを正直に話し、一般の人は考えていることを互いに同じ目線で話し合い、それぞれがそれぞれの判断をしていくこと。自分で納得し、判断するとことがリスコミの一番大事なところだと思う。しかし、福島では、納得するプロセスが省かれ、ほとんどが上から決まる。飯館村の除染もそう。村の人と話すこともなく決まり、金はゼネコンに流れた。国や東電は、被災者がどのような選択をしようと、その選択を支援する責任があると思う。
飯館村は除染でフレコンバッグが山となった。いまは半分程度しか残っていない。なぜか。環境省は福島の汚染地域のゴミを集めて中間貯蔵施設に持っていくとしている。しかし、飯館村で230万個。福島全体で2千万個もある。 どうしようもないから埋めてしまえという計画がある。長泥地区は帰宅困難区域で避難指示が解除されていない。田んぼに土を埋め、そのうえに盛り土して花やらなんやらつくり「フレコンバッグの再利用」だというとんでもない計画が行われている。