小田さんは全国会議員に手紙を送って賛同者を募り、超党派の議員連が発足。「国が災害で家が全壊した世帯に500万円、一部損壊でも50万円を支給する」という内容の法案を起草。議員立法として国会に提出された。
ところが98年5月、国会で成立したのは自民党が提出した「被災者生活再建支援法」だった。「全壊家屋に最大100万円、大規模半壊に50万円」と、内容は小田さんの法案より後退し、「生活再建が難しい被災者に対する支援のお金で、家を修理するお金ではない」など、いくつも条件がつけられた。
それでも被災者救済の扉をこじ開けたのは市民らの切実な思いだった。
2004年に発生した鳥取県西部地震をきっかけに、解体撤去費用や整地費などに最大200万円を支給する法改正が行われた。支援総額は最大300万円になった。だが、それでも自宅再建に使うことは許されなかった。
07年の新潟県中越地震を経て支援法が再び改正され、最大300万円の支援金はようやく住宅再建にも使えるようになった。とはいえ、これで問題が解決したわけではない。
適用世帯は、全壊と大規模半壊した住宅に限られ、半壊や一部損壊は除外。また、最大300万円の支援金を500万円、600万円まで増額すべきだとの声も出ているが、永井さんは「支援金の性格が問題だ」と指摘する。「法改正で自宅再建にも使えるようになったのは、これまでの補助金方式から見舞金方式に代わったから。生計維持者が亡くなったときに支給される災害弔慰金の最高額500万円と同じ額を国が出すかどうかは疑問です」
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