うずみ火講座「フクシマ8年」 原発事故の深刻さ再確認

東日本大震災から8年を控えた3月9日、新聞うずみ火は今年も大阪府熊取町にある京都大学複合原子力科学研究所(旧京大原子炉実験所)研究員の今中哲二さんを講師に迎え、大阪市此花区のクレオ大阪西で「うずみ火講座」を開いた。今中さんは原発の危険性を訴えてきた「熊取6人組」の一人。「スリーマイル40年、チェルノブイリ33年、福島8年」と題し、改めて原発の過酷事故の深刻さを語った。 (矢野 宏)

今中さんは人災と天災との違いについて、「天災は恨んでも仕方ないから恨みがたまらない。福島などの原発事故は人災なので恨みがたまる、というかあきらめがつかないだろうと思う」と切り出した。


米ペンシルベニア州のスリー
マイル島原発で事故が起きたのは1979年3月28日。給水系にトラブルが発生し、冷却水を供給する給水ポンプが停止。緊急炉心冷却装置が作動したものの、運転員が操作を誤って停止させたことで炉心の半分が溶けてしまった。それでも、圧力容器と格納容器が持ちこたえたので最悪の事態は免れたという。
「圧力容器に水をためることで放射線を遮り、上からデブリを取り出すのに10年かかりました。福島でも同じ手法を取ろうとしましたが、格納容器が水漏れしてできなかったのです」
スリーマイル事故の教訓について、今中さんは「原発は安全か危険かではなく、事故は起きることを実感した」と振り返る。
7年後の86年4月26日、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号炉で事故が起きた。目撃者によると、「夜空に花火が上がったようだった」という。原子炉と建屋は一瞬のうちに破壊されて爆発炎上し、大量の放射能が放出した。最初の放射能雲は西から北西へ流れた。27日には1500㌔離れたスウェーデンで放射能が検出され、ソ連は事故発生の公表を余儀なくされた。
事故翌日、原発労働者が住むプリピャチ市の4万5000人が避難したが、周辺30㌔圏の住民たちの避難が始まったのは事故から1週間後だった。放射能汚染や被害に関する情報は隠され、汚染地域に住んでいる人たちにも知らされなかったという。
汚染地域面積は14・5万平方㌔で、本州の約6割にあたる。移住対象地域面積は1万平方㌔。福井県と京都、大阪府を合わせた地域で人が住めなくなった。
チェルノブイリから学んだことについて、今中さんは「原発で大事故が起きると周辺の人々が突然に家を追われ、村や街がなくなり、地域社会が丸ごと消滅すること」であり、「原子力の専門家として私に解明できることは事故による被害全体の一側面に過ぎず、被災者にもたらされた災難の大きさを放射線測定器で計ることはできないということ」と話す。

8年前の3月11日、福島第一原発では1号機から3号機が運転中で、4号機から6号機が定期検査で止まっていた。
原発の緊急時のスローガンは「止める、冷やす、閉じ込める」の三つ。核分裂反応を止める、原子炉を冷やす、放射性物質が外に出ないように閉じ込めること。
福島の場合、地震が起こり、制御棒が入って核分裂連鎖反応は止まった。原子炉が止まると、電気をどこからか持ってこなければならない。非常用のディーゼル発電機はタービン建屋の地下に並んでいた。地震発生から40分あまり、津波がやってきた。福島原発の津波対策は5・7㍍。そこに10㍍を超える津波が襲ってきたから、発電機は水をかぶり、冷やせなくなった。
「福島原発が津波に弱いということは2002年から話が出ています。裁判で明らかになりましたが、東電の内部チームは08年、10㍍を超える津波の可能性があると試算。防波堤の内側に防潮堤を作るべきだと提案しましたが、幹部たちが握りつぶした。まさに人災です」
3月12日午後に1号機が水素爆発を起こし、14日午前に3号機が、15日早朝には2号機と4号機が相次いで爆発した。「放出された放射線は南へ流れ、東京まで行っています。風向きが変わって北西方向へ流れたときに飯館村や福島市は雨と雪が重なって大変な汚染が起きた。最初の避難指示区域が1150平方㌔、対象者が8万人。8年たってようやく3分の1ぐらいに減りましたが、フレコンバッグに詰まった汚染土壌を防潮堤などに再利用しようと、環境省が動いています。放射性汚染物はすべて東電に引き取らせるのが原則です」

厄介なのが汚染水問題。1号機から3号機では溶け落ちた核燃料を冷やすため、今も原子炉に水を注いでいる。これが核燃料に触れることで、高濃度の汚染水となって建屋の地下にたまっている。さらに、山側からの地下水が建屋に流れ込むなどして、建屋内の汚染水は、15年度の平均で1日490㌧ずつ増え続けていた。汚染水対策として16年3月から運用が始まったのが「凍土壁」。建屋周辺の地盤を凍らせて氷の壁で取り囲み、地下水の流入を抑える対策で、1・5㌔にわたる氷の壁を作ったことで、1日あたりの汚染水は180㌧に減った。
とはいえ、原発の敷地内で保管されている汚染水を処理したあとの水は112万㌧で、うち100万㌧近くがトリチウムなどの放射性物質を含む水だという。
「トリチウムの半減期は12年。半減期の10倍になれば1000分の1になり、倍の240年たったら100万分の1になる。政府と東電は100年、200年を見越しながらの見通しを出さなければならない。東電は公聴会を開き、汚染水を海に捨てるようにもっていきたかったようですが、地元は反対。福島原発からはこれ以上余計な放射能を出さないというのが大原則です」
廃炉に40年かかると言われているが間違い。「東電のロードマップを読めば、40年たったらうまくすれば、中にあるデブリを取り出せるようにするとしか書いていない」と、今中さんは指摘する。
「デブリを取り出せたとして、それをどこへ持っていくのも決まっていない。福島原発に置いておくしかないのです。デブリはもちろん取り出してもらわなければならない。チェルノブイリと違って地下水が流れており、すぐ近くに海があるから。最終的には、チェルノブイリと同じように石棺にしなければならないと思います」
電力も余っている。8月の最大電力をみても、09年で落ちたのはリーマンショック。11年に震災があり、事故から1年、2年目は「節電キャンペーン」をやっていた。3年目から一言も言わなくなった。今中さんが調べたところ、電力供給力も減っているが、需要も減っていたことが判明した。「原発20基分ぐらい余っている。日本のエネルギー需要の変遷を見ても、これから人口も減るし、いかに全体をソフトランディングしていくか」と指摘する。
今中さんは「事故が起きたら周辺の30㌔で人が住めなくなるようなものまで使って電気を作る必要があるのか」と語ったあと、「政府と東電は被災者の面倒を見る責任があるのに、汚染も見えなくして被災者も見えないようにしていく政策で動いているのではないか」と警鐘を鳴らし、講演を締めくくった。

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