「東京大空襲で亡くなった10万人の命は『その他』だった」忘れられない早乙女勝元さん「大阪空襲訴訟」記念の集いでの講演(上)
東京大空襲の悲惨さを語り続けた作家の早乙女勝元さん(享年90)。民間の空襲被害者救済にも尽力し、東京空襲の被害者が国に補償と求めた「東京大空襲訴訟」で証言者として法廷に立ち、2010年12月には「大阪空襲訴訟」の集団提訴2周年の集いで「平和をあしたに――ある作家の体験から」と題して講演した。その要旨をお届けする。(新聞うずみ火 矢野宏)
1945年3月10日、当時中学1年だった私は東京大空襲に遭遇した。
それまでの空襲とは違い、夜中、300機ものB29爆撃機の大編隊、ナパーム剤が入った油脂焼夷弾攻撃、超低空を飛んでの無差別じゅうたん爆撃。2時間ほどの攻撃だったが、100万人が家を焼け出され、10万人が亡くなった。その多くが女性や子ども、お年寄りなど社会的弱者だった。
ラジオが伝えた大本営発表は「都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮は2時35分、その他は8時頃迄に鎮火せり」。10万人の命は「その他」でしかなかった。
その後、名古屋や大阪、神戸などの大都市が、6月からは地方の中小都市が空爆され、8月に広島、長崎へ原爆が投下され、150もの都市がガレキとなり、民間人55万人が亡くなり、戦争は終わった。
45年の日本人の平均寿命は男子23・9歳、女子37・5歳。こうした犠牲の上に、私たちは平和憲法を手にすることができた。
その前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とあるように、戦争をするのは政府。われわれが再び戦争の惨禍を見過ごしてはいけない。戦争を止めることは主権者の使命であり、責務なのだ。