「3人の兵隊が土足で上がってきた。いらだち、両親にわめき出した。5歳の私は怖くて母親にしがみついていました」
恐怖から始まった福沢さんの「ロシア体験」。後年、せっかくロシア人と親しくなりながら、ウクライナ侵攻の無慈悲な姿を見せられる今、複雑な思いでいる。
知床半島付け根の羅臼町へ車を走らせた。薄曇りだったが雪景色の国後島が見えた。
「国後展望台」に来てくれたのが千島連盟の脇紀美夫理事長(80)。元羅臼町長の脇さんは国後島で戦後、3年近くロシア人と混住した。
「国後や択捉の人の強制送還は遅かった。ロシア人の子供と石蹴りなんかして遊んでいました」
北海道へ引き上げたのは小学1年の時。脇さんは経済優先の安倍外交に疑問を抱いていた。「元島民の土地の上でロシアと経済活動するとはどういうことか。旧漁業権も残置財産の補償もされていないのに」といぶかる。
そして「ロシアとは2年や3年は交渉もできない。10年も経てば島民一世は誰もいなくなる。北方領土返還運動が元島民だけのテーマのようになっていることがおかしい。国土が奪われたのです」と訴えている。
停滞を余儀なくされた平和条約交渉。この間にじっくりと交渉術も練り直すべきだ。
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