「ゴジラ和歌山上陸・宝田明さんと考えた『平和』」俳優・宝田明さんを悼む(2)「ロシアへの忌避感」

傷口から出てきたのは、国際法で使用が禁止されているダムダム弾だった。

高橋のコレクションに見入る宝田さん(2019年8月撮影)

宝田さんは「そういう体験をしてしまったので、僕はロシアの映画、音楽、バレエ、文学も、どんなに素晴らしい芸術も心が受け付けなくなってしまいました。焼き付いた記憶が消せず、憎しみしか残らないんです。それが戦争というものなのです」と振り返る。

46年にようやく日本への引き揚げが始まるが、ここでも過酷な状況が待っていた。様々な困難の末に博多に上陸し、宝田家の故郷である新潟県村上町(当時)にたどり着いた。2年ほど住んだ後、中学2年の時に遠い親戚を頼って上京。高校3年生で受けた「第6期東宝ニューフェイス」に合格し、俳優人生がスタート。

第1作『ゴジラ』主演をきっかけに、スターへの階段を駆け上がっていったのである。

参考記事:「ゴジラ和歌山上陸・宝田明さんと考えた『平和』」実現した和歌山講演会 俳優・宝田明さんを悼む(1)

実は宝田さんが各地で戦争体験を語り始めたのは還暦を過ぎてからだった。自らの経験から「戦争という名目で命を落とすことなどあってはならない。戦争では理性も教養も吹っ飛んでいく。狂気の世界をつくるんです」と語る宝田さんは、平和の大切さを訴えることに注力していく。

「私には戦争の愚かさや残酷さを次代に伝える使命があるんです」と力を込めた宝田さんの表情が忘れられない。(和歌山信愛女子短期大学副学長・和歌山県平和委員会代表理事)

 

 

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