「せめて一日早く戦争が終わっていれば…」京橋駅爆撃被災者慰霊碑 大阪城に残る軍事遺産(2)

空爆が終わって防空壕から外に出ると、世界が変わっていた。

「あちこちから泣きわめく声、助けを求める悲痛な叫びがしており、阿鼻叫喚の世界でした。見渡すと辺り一面に死体が横たわっており、折り重なって死んでいる人もいました。幼子を連れ、頭から血を流した若い母親や頭から下が土砂に埋まっている兵隊。向かいの川に飛び込んだ人もいました。まさに地獄絵図でした」

京橋駅空襲の慰霊祭で吉冨さん㊧に話を聞く(2011年8月撮影)

慰霊祭で毎年会う女性がいた。東大阪市の吉富玲子さん。空襲当時13歳。その2年前に父と姉を亡くし、母と2人の兄との4人暮らし。長兄(当時19歳)のもとに「8月15日に姫路の連隊に入隊せよ」と召集令状が届いた。この日、母親と一緒に大阪駅まで見送るため、桃谷駅から電車に乗り込んだ。
空襲警報が発令され、吉富さんらを乗せた電車は京橋駅で停車。母親と一緒に片町線の西側にあった防空壕を目指した。大勢の乗客でごった返す中、突然の爆音とともに駅舎は吹き飛ばされ、二人は生き埋めとなった。大きな石や柱の下敷きになって身動きできない。何度も気を失いかけたが、暗闇の中で「玲子、玲子」と呼ぶ母の声で意識を取り戻した。だが、それもやがて聞こえなくなった。

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