ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2週間余り、国内各地で抗議集会が開かれている。大阪府東大阪市で3月12日に開かれた緊急集会には市民ら160人が参加し、反戦を訴えてデモ行進した。77年前の空襲を逃げ惑った記憶とウクライナの映像を重ね合わせる戦争体験者や自作のプラカードを持参した児童らも平和を呼びかけた。(新聞うずみ火 矢野宏)
主催は「戦争あかん!平和がええやん!憲法まもる東大阪の会」と「オール東大阪市民の会」。会場の中小坂公園には、ウクライナ国旗を模した青と黄色のプラカードなどを持った市民らが集まった。
「居ても立ってもいられなかった」と駆けつけた森本光英さん(93)は「一日も早く空襲を止めてほしい。地下壕で脅える子どもたちが77年前の自身と重なり、つらいです」と話す。森本さんは太平洋戦争末期、空襲警報が鳴るたびに防空壕に逃げ込む日々を送っていたという。当時15歳、布施市(現・東大阪市)長堂の自宅から1945年3月の第1次大阪大空襲を目撃した。「防空壕から出ると辺りは雪で真っ白でした。20㌢ほど積もっており、対照的に西の空は炎で真っ赤でした」と振り返る。
米国の核兵器を自国内に配備して共同運用する「核共有」をめぐる議論が活発になっているが、森本さんは「非核三原則があり、持ち込むことなど認められません。やられたらやり返され、市民の犠牲が増えるだけ」だと指摘する。
リレートークに続き、主催者から「東大阪の地から『ロシアはウクライナ侵攻をやめろ』『核兵器の使用は絶対に認められない』『憲法9条を守れ』の声を発信しましょう」との集会アピールが読み上げられ、賛同の拍手に包まれた。
このあと、市民らは「ウクライナに平和を」「侵略を許すな」と書かれた横断幕を掲げ、中小坂公園から近鉄布施駅までの市内約2㌔をデモ行進した。
母親と参加した7歳の児童は段ボール紙に「戦争はんたい」と書いた手作りプラカードを持って歩いた。
反戦と連帯の声は、青色と黄色の「ウクライナカラー」とともに世界に広がっている。