アメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で実施した水爆実験によって、静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくして68年。皮肉にも、ロシアのウクライナ侵攻に便乗した保守派の政治家がアメリカの核兵器を共同運用すべきだとの「核共有論」を声高に叫んでいる。(新聞うずみ火編集委員 高橋宏)
1954年3月1日、アメリカはマーシャル諸島ビキニ環礁で史上最大の水爆「ブラボー」の核実験を実施した。当時のソ連と熾烈な核開発競争をしていたアメリカは、極秘裏に「キャッスル作戦」と名付けた計6回の水爆実験を計画していたが、その第1回がブラボーであった。想定していた6Mトンをはるかに上回る15Mトン(広島に投下された原爆の1000倍)の核爆発は、広範囲に「死の灰」をまき散らした。
当時、実験の存在を知らない多くのマグロ漁船が太平洋で操業していたが、マーシャル諸島の島民らと共に、彼らの上にも死の灰が降り注いだのである。その中に、第五福竜丸の23人の乗組員がいた。
帰国後、読売新聞のスクープによって、いわゆる「ビキニ事件(第五福竜丸事件)」が発覚した。乗組員はやけどや脱毛など、急性放射線障害の症状が出て入院したが、治療の甲斐なく無線長の久保山愛吉さんは帰らぬ人となった。
広島・長崎に続く3度目の核被害に、人々の怒りは渦となり「久保山さんの死を無駄にするな」を合言葉に、反核運動が全国に広がった。あわてたアメリカ政府は、ビキニ核被ばくの事実を隠蔽しようと画策する。わずか9カ月で日本政府との政治決着を図り、翌年1月、アメリカが「慰謝料」として200万ドルを支払うことで合意した。
実は、ビキニ事件が起こった3月、改進党(当時)の中曽根康弘議員らが原子力研究開発予算を国会に提出していた。予算額2億3500万円は、ウラン235にちなんだもので、何ら具体性もなかったが成立してしまう。そしてこれが、日本の原子力開発・利用のスタートとなっている。つまり、軍事機密を最優先するアメリカと、原子力開発・利用に着手したばかりの日本にとって、ビキニ事件と反核運動は大きな障壁だった。両者の利害が一致したため、法的責任に基づく損害賠償ではなく、慰謝料という形での政治決着がなされたのだろう。