ビキニ事件で被爆したのは「第五福竜丸」だけではない。のべ1000隻以上の漁船が被災していた…(新聞うずみ火編集委員 高橋宏)
日米の政治決着後、アメリカは核実験を続け、1958年には62回もの大気圏内核実験で死の灰をばらまき続けた。日本もまた、軍事利用は悪としつつも、「平和利用」を善として原発の建設・稼働にまい進した。その結果、わずか半世紀余り後に破局的な福島第一原発事故が起きてしまったのだ。54年3月は原子力(核)のターニングポイントであったと言えよう。
ビキニ事件は政治決着によって、核被災船は第五福竜丸のみとされ、「すべて解決」とされてしまった。日米の合意文書では、今後亡くなる人が出ても追加の支払いはしないことが了解されていた。事件当時、水揚げされた魚の多くが放射能汚染のために廃棄されたが、そうした廃棄魚が出ても一切補償はなくなったのである。
忘れてはならないことは、ビキニ事件では第五福竜丸以外にのべ1000隻以上の漁船が被災していた事実である。だが、日米合意後には被災調査や、乗員たちの健康調査など一切行われていない。事実を発掘してきた教員やジャーナリストらの追及で2014年、それまで「ない」とされてきた厚労省や水産庁の文書などが開示され、少しずつ当時の状況が明らかになりつつある。
参考記事:ビキニ事件68年(上)政治にほんろうされた「第五福竜丸」
16年5月には、周辺海域で操業していた漁船の元船員や遺族ら約40人が高知地裁に国家賠償請求を起こした。ビキニ事件をめぐる初めての国賠訴訟で、国が被ばくに関する調査結果を長年開示しなかった結果、米国へ賠償請求する機会を奪われたとして、国の責任を追及し控訴審まで争ったが敗訴した。20年8月には、元マグロ漁船員とその家族が、全国健康保険協会に対して、労災申請にあたる船員保険の適用を不認定とした処分の取り消しと、国に対して損失補償を求め高知地裁に提訴し、現在も係争中である。広島・長崎と同様に、ビキニ事件でも多くの「救われていない」被災者がいるのだ。