このあと、45年6月7日の第3次大阪大空襲で1トン爆弾の直撃を受け、母と兄、妹と弟を亡くした在日朝鮮人2世の鄭末鮮(チョン・マルソン)さん(88)=滋賀県野洲市=が空襲体験を語った。
当時11歳。「地球がひっくり返るほどの爆音」を聞き、焼夷弾が雨のように降る中、何かにつまずき、見れば死体だった。川に飛び込んで死んでいる人も見たという。「まさに生き地獄でした」
戦後、朝鮮人であることを隠し、通名を名乗って生きたという鄭さん。戦争と貧困によって日本語の読み書きを学ぶ機会を奪われた。70歳の時に中学校教師から読み書きを習い、本名を名乗り、空襲体験を語るようになった。
鄭さんは昨年6月、実行委のメンバーの案内で、かつて住んでいた東淀川区の崇禅寺で開かれた慰霊法要に初めて参列。空襲で亡くなった4人の名前を、境内の「戦災犠牲者慰霊碑」に民族名で刻んでもらった。
「これまで何もしてあげられなかったけれど、ようやく母や兄たちのお墓ができ、ほっとしました。来年は孫もつれていき、一緒に手を合わせようと思っています」
冊子「大阪空襲と朝鮮人 そして強制連行」はA4判カラー82ページ。送料込みで1000円。
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