阪神・淡路大震災27年 行方知れずの母「心の時計は止まったまま」

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は1月17日、発生から27年を迎えた。神戸市中央区の東遊園地では震災犠牲者を追悼する「1・17のつどい」が開かれ、地震が発生した午前5時46分に黙とうがささげられた。静かに手を合わせ、冥福を祈る遺族らの中に、行方不明者家族の一人、兵庫県加古川市の佐藤悦子さん(58)の姿もあった。神戸市須磨区で被災した母、正子さん(当時65)の行方は今もわからない。

「震災から27年がたちましたが、自分の中ではまだ区切りをつけられていません」
佐藤さんは祈りをささげた後、母の写真を胸に抱きしめた。

「ここを訪れるのは私にとってのお墓参りです。今年も母親に『この日が来たね。孫も大きくなったよ。元気でやっているからね』と伝えました」

正子さんは震災当時、神戸市須磨区の文化住宅に1人で暮らしていた。あの日の地震で文化住宅は倒壊、近所で発生した火の手が燃え移り、全焼した。
自衛隊や警察の捜索は約2カ月で計6回に及んだ。焼け跡から出てきたのは腕時計と小銭などで、正子さんの遺体も遺骨も見つからなかった。佐藤さんは兄と一緒に焼け跡を掘り返し、白っぽいものを拾ってはふるいにかけたが、骨の欠片すら出てこなかったという。

「母は記憶喪失になっているのかもしれない」と、佐藤さんは避難所や病院、高齢者施設などを尋ね回った。写真と特徴と書いたチラシを作って手がかりを探したが、見つからなかった。
震災から半年後、親戚の勧めで葬儀を営んだ。骨壺には焼け跡の土などを入れた。

やがて、焼け跡に新しい家が建ち、母の手がかりを探せなくなった。震災の翌年には家庭裁判所に失踪宣告を申し立てた。法律上は死亡とみなされるようになったが、踏ん切りはつかないという。

「どこかで生きているのではと、今でも母が死んだ実感がわかない。あの日から時間は止まったままです」
正子さんのお墓もない。佐藤さんは毎年1月17日に東遊園地を訪れ、犠牲者の名前を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」の銘板に花束と近況をつづった手紙を供えている。
今年は会場の再整備工事で出入り口が限られる中、新型コロナ感染者が再び急増していることを受けて来場者が集中するのを避けるため、昨年に続いて16日と17日の2日間にわたって行われた。犠牲者を追悼する約5000本の竹と紙の灯籠が、震災が起きた日付の「1・17」と「忘」の形に並べられた。


「母の遺骨が見つかっていない私にとっては、忘れない、忘れようにも忘れられません。整理のつかない喪失感は一生持ち続けるものだと思います」
阪神・淡路大震災は、災害関連死を含めて6434人が死亡、佐藤正子さんを含め3人が行方不明者、負傷者は4万3792人に上り、約25万棟が全半壊した。

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