敗戦後、旧日本軍人らが収容された中国の戦犯管理所で所長を務めた金源さんの回想録「撫順戦犯管理所長の回想 こうして報復の連鎖は断たれた」が出版された。
撫順戦犯管理所は、旧ソ連から収監した969人の元日本軍人らを人道的に処遇。加害行為を直視した戦犯たちが「認罪」に至ったことで知られる。45人が起訴されたが死刑・無期判決はゼロ。64年までに全員が帰還し、元戦犯らは「中国帰還者連絡会」(中帰連)を結成。加害行為を証言した『三光』の出版などで侵略戦争の実体を暴き、反戦平和と日中友好のために献身した。
金さんは、戦犯たちが旧ソ連から中国側に引き渡された1950年から撫順戦犯管理所へ。28年勤務し、64年からは所長を務めた。帰国した元戦犯たちとの交流は2002年に75歳で亡くなるまで続いたという。
元戦犯の証言や体験記は少なくないが、金さんの回想録は、受け入れた側が更生事業を振り返った貴重な記録だ。
自らの加害行為を認めることは戦犯たちにとって葛藤を伴うものだった。だが、中国人職員も葛藤に苦しんだ。職員にとっても戦犯は憎んでも余りある存在。にもかかわらず、中国政府の方針は「殴ってはならない」「ののしってはならない」「日本人の舌に会う食べ物を」などというもの。金さんの回顧録には、憎しみを乗り越えた職員たちの献身的な努力によって戦犯たちが覚醒し「鬼から人へ」自己変革を遂げていく過程が詳細に描かれている。
<私は当初、寛大すぎると思っていた。だが、今では、正しかったと思う。なぜなら、歴史の悲惨な事実は報復では消すことができないからだ。仇を討つことで、歴史の事実はなくならない。逆に報復すればまた悲惨な事実を招くことになる。それよりも、罪を犯した戦犯が「中期連」をつくり、長年交流している、この関係のほうが大切だ>
金さんは日本統治下の朝鮮半島に生まれた。幼い頃、一家は生活の糧を求めて中国東北部へ移り住んでいる。日本の敗戦直前には召集され、解放後は中国内戦で帰郷の道を閉ざされた。文革当時は、日本の戦犯を厚遇したとして迫害も受けた。本書は歴史の生き証人の稀有な回想記でもある。
金さんの回想録は1995年に「奇妙な縁」と題し韓国で、98年に中国で「奇縁 ある戦犯管理所長の回想」として出版された。日本語版は中国現代史専門の大澤武司福岡大教授が監修。元都立高校教諭の中川寿子さんが翻訳した。中川さんは「なぜ戦犯たちは罪を認めたか、職員たちがどう憎しみを乗り越えたか。ヘイト行為が横行する今こそ人間の罪と罰、贖罪について考えてほしい」と話している。
「撫順戦犯管理所長の回想」は「奇縁」出版実行委員会発行。桐書房刊。2000円+税。(栗原佳子)