「寄り添う」伴わぬ安倍首相
- 2020/9/25
- 原発
広島への原爆投下直後、上空に巻き上げられた放射性物質を含む「黒い雨」が降った。それを浴びたり、汚染した飲食物を取ったりしたことによって、多くの人々が被ばくしたのである。国は1976年、爆心地の北西部に大雨が降ったとする気象台の調査を基に「健康診断特例区域」(援護対象区域)を指定した。この区域内にいた人々は、被爆者に準じた無料の健康診断を受けられ、一定の病気になれば被爆者健康手帳に切り替えられるようになった。
しかし、国が定めた区域を少しでも外れれば、援護対象にはならなかった。そのため、住民や地元自治体が区域拡大を求めてきたが、国は頑なに拒み続けてきた。今回の訴訟の原告は、爆心地から約8~29㌔地点にいた男女84人で、広島県と広島市に被爆者健康手帳の交付などを求めていた。その判決が7月29日にあり、広島地裁(高島義行裁判長)は全員を被爆者と認め、県と市に手帳の交付を命じたのである。
県と市は、国からの法定受託事務で手帳の交付審査を担っているため被告となり、国は「補助的立場」で訴訟に参加していた。だが、県や市はかねてから援護対象区域を広げるように要望しており、実質的な被告は国であった。そして被告側は「原告が実際に黒い雨を浴びるなどした証拠はない」と反論していた。判決では、黒い雨を浴びたという原告の証言に「不自然で不合理な点はない」とし、「内部被ばく」の可能性にまで言及した。判決を受けて、その翌日に県と市は、国に控訴の断念を要望している。
控訴するか否か、国の判断が注目される中で8月6日、広島市で平和記念式典が行われた。今年も式典には安倍晋三首相が出席し、あいさつをしたが、例年通りのひどい内容であった。あいさつに増してひどかったのは、「黒い雨訴訟」の控訴をめぐる判断を全く示さなかったことだ。昨年6月のハンセン病家族訴訟判決の際には、安倍首相の強い意向(?)で控訴を見送っていたにもかかわらず、だ。今回は厚生労働省に判断を委ね、自らは静観を決め込んだのであった。
そして8月12日、国と県、市は広島高裁に控訴する。地裁判決は「科学的根拠が不足している」というのが主な理由であった。高裁に舞台を移した裁判の長期化は必至で、平均年齢が82歳を超える原告にとっては、まさに「時間との闘い」になってしまった。控訴断念を要望していた県と市が最終的に応じたのは、国が援護区域の拡大を再検討する方針を示したためだった。
安倍首相は平和記念式典で「我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります」「高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります」と述べた。「どの口が!」と言いたい。
長崎に何度も足を運び、被爆者から強く求められていたにもかかわらず、一度も原爆資料館を訪ねない人間が、被爆の実相をどこまで理解しているのか。今回の控訴には「寄り添う」姿勢などみじんもない。
「黒い雨訴訟」の原告をはじめとした被爆者たちは、75年間にわたって放射線の影響や、いわれのない差別に苦しみ続けてきた。さらに原告の場合は、国にとって都合の良い「科学的根拠」のみに基づいて行われた「線引き」によって、さらなる差別を強いられてきたわけだ。この構図は、福島第一原発事故後の避難区域の線引きにそのまま当てはまる。