京都で大阪空襲供養 「慰霊碑は母の墓代わり」
- 2020/9/24
- 空襲
中学生の時、妹の手掛かりを探していたところ祖母に見つかり、「あの子は今、幸せに暮らしているのやから、探しに行ったらダメ」と叱られた。妹とは生き別れとなった。
片山さんが笠原寺を訪ねた1カ月後の9月初旬、JR山科駅で待ち合わせて同行した。
慰霊碑は高さ1㍍ほどの自然石で、「蝶舞いぬ空襲忌の花乃蔭」という文字が彫られている。この日もお寺の主監、笠原隆裕さん(55)、千裕さん(50)夫妻がお経をあげ、犠牲者を弔った。
なぜ、京都市山科区に大阪大空襲の慰霊碑があるのか。
笠原寺を開いたのは隆裕さんの祖母笠原政江さん。戦中・戦後を生き抜いた女性の声を残しておきたいと1978年から投稿を募り、「戦中・戦後母子の記録」全10巻を刊行した。「大阪大空襲の体験を語る会」初代会長の金野紀世子さんも寄稿。大阪に空襲慰霊碑がないことを相談すると、寺内に建立してくれたという。
毎年、数名の会員がお参りをしてきたが、ここ数年はいない。維持や管理は寺に託しているのが現状だ。
両親の遺骨は戻ってこなかったため、片山さんは大阪国際平和センター(ピースおおさか)に毎年通い、空襲犠牲者の名前が記された追悼モニュメントに手を合わせてきた。だが、今年は新型コロナの感染拡大でお参りを見送っていた。
帰りのタクシーの中、片山さんはこう語った。「ここの慰霊碑が母親のお墓代わりです」
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