フクシマ後の原子力 矛盾はらむ「除染なし解除」

さらに、これらの区域分けは「線引き」によって行われている。素人目にも明らかだが、放射能汚染がきれいに境界線を作ることなどあり得ない。

13年に私が浪江町を取材した際、帰還困難区域と居住制限区域との境界では、双方でほぼ同レベルの放射線を検知した。浪江町は、この区域分けによって町が二分されていたのだ。実際のところ、どの区域に居住していたかによって、避難に伴う補償も違ってくる。これが後に、住民の分断につながっていったことは想像に難くないだろう。

国の思惑見え隠れ

実は、今回の「除染なしの解除」という議論は、今年2月に飯舘村から国に出された要望書がきっかけであった。同村は南部の長泥地区に帰還困難区域を擁する。国の計画では、同地区の2割弱を「特定復興再生拠点」に認定して、そこだけを除染して避難指示を解除するというものだった。8割を超える拠点外のエリアは、全く解除の見通しがない。こうした線引きによって新たな分断を生みかねず、それを望まない村の苦渋の決断ゆえの要望だったのである。

帰還困難区域を除いて国の除染が終了したのは18年のことだ。効果そのものに疑問が残る除染作業に、国が投じた費用は約3兆円にのぼる。除染によって次々と避難指示が解除されてきたが、帰還した住民は全体で2割程度でしかない。帰還する住民が少ない中で、これ以上除染に費用を投じたくないという国の思惑が見え隠れする。他方、国はこれまで通り除染した上での解除か、新たに検討されている除染なしの解除かは地元の判断に委ねるという。今後は、その選択をめぐって自治体は苦悩を強いられることになるだろう。

さらに忘れてはならないのは、そもそも避難指示の対象が原発を中心としたごく限られた地域であることだ。それは、東日本の広範な汚染地域のほんの一部に過ぎない。対象とならなかった地域の住民は、まともな補償を受けられず「自力避難」を強いられてきた。被害の過小評価、「復興」を優先した地域住民の分断、生活の糧を奪われ苦労を強いられる人々の存在……。これらは、今私たちが新型コロナウイルス問題で目の当たりにしていることではないか。 「フクシマ後」の課題は、そのまま「コロナ後」にも持ち越されている。私たちがそうした社会のありようを変えない限り、次の危機が訪れた際にも、同じことが繰り返されてしまうのではないか。(高橋宏)

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