吉村大阪府知事の戦略 検証なくメディア礼賛

「橋下徹後継」だが橋下氏のように無用に記者を挑発して「喧嘩の土俵」に乗せることはせず、「誠実に」質問に応える。筆者は5月14日の会見も覗いた。あらかじめ「質問は府政に関することに限定してください」と言われていたにもかかわらず終了間際に「検察官の定年延長をどう思うか」などと質問した東京のジャーナリストにも「検事総長の人事は内閣に権限があると思っています。それがおかしいと思うなら選挙で落とせばいい」などと回答した。「私がお答えする質問ではありません」と立ち去らないところも取材者に受ける。

コロナ対策で吉村知事が目立ちだしたのは、3月の連休前に「兵庫県との往来を自粛してほしい」として物議を醸した頃からだ。この時は、厚労省の非公表文書を読み違えたきらいもあったが、井戸敏三兵庫県知事が官僚出身らしく伏せる文書を公表することも好感は持たれた。 4月24日、休業要請に応じないパチンコ店6店について、全国に先駆けて店名を公表した。橋下徹氏ですら「このような形での名前の公表は明らかに罰金刑より重い罰」と驚いた。公表した店には他府県からも客が押し寄せ周辺住民から苦情が出ると、吉村知事は「応じてもらえなければ休業指示を出す」と発表した。罰則はないが、要請より上の行政命令で無視するのは違反になる。これも全国初。筆者が取材に行った堺市のパチンコ店は指示が出る日に閉めた。これで大阪府は全店が休業し、結果的に指示は出さずに済んだ。

2011年、弁護士から大阪市会議員に当選、「維新旋風」で14年に衆院議員に当選した。翌年には橋下市長の辞任に伴い、自民党大阪の柳本顕市議団長を破って市長に当選した。当初は橋下氏や松井知事の陰で目立たなかったがコロナで俄然、目立ってきた。「あのパチンコ屋まだやっとるで」「政府の発表では何もわからへん。いつまで我慢させるんや」など、府民の不満を敏感に汲み取っては先手を打つ手法は「橋下譲り」で明快だ。

さらに浪速っ子の琴線に触れるような「持ち上げ」も忘れない。ある会見で吉村知事は「大阪の人は奔放な人ばっかり、みたいに言われてるけど、いざとなったら全国で一番団結してくださるのが大阪の人なんですよ。去年のサミットの時でも『車で動かないで下さい』とお願いしたら、街から車はさっと消えました」と語った。「僕ら政治家や役人は給料は減りません」も多発。「あんたらは恵まれている」と言われる前に言っておくしたたかさ。嗅覚や政治感覚、説明力に優れることは認めざるを得ないが、メディアは手放しで礼賛していいのか。

5月12日に発表した「新型コロナ追跡システム」である。不特定多数が集まる劇場やライブハウス、イベントの主催者などに府のHPからQRコード(2次元コード)を取り込ませ印刷して入口に掲示させる。訪れた参加者や利用客がスマホで読み込み、府のHPにメールアドレスを登録する。後にそこで感染者が発生すれば府がメールで一斉送信し注意喚起する。吉村知事は「登録は1分でできます。施設や集会で陽性者やクラスターが発生した場合、できるだけ早く情報を提供し、新たなクラスター(集団感染)が発生するのを防げる」とPR。「個人情報を守りながらITで新型コロナの追跡システムを作れないかを検討してきた。あくまでお願いベース。『この店、QRコードはないの?』という空気を大阪で作っていきたい」と話した。

吉村氏に筆者が「知事本人の発案ですか」と尋ねると、発案者は府庁のスマートシティ戦略チームの坪田(知己)部長です。役人にはこんな発想できません」などと答えた。橋下元知事以来の「民活導入路線」で日本IBMの大阪事業所長だった坪田氏は4月から抜擢された。
さて、吉村氏は「台湾や韓国はITで陽性者の動きを把握し、それを情報公開して感染拡大防止に努めているが、個人情報の保護を優先するのが日本の法体系。府はメールアドレスだけを管理。名前や住所、電話番号、GPSによる行動履歴などは取得しない」とするが、メールアドレスは個人情報ではないだろうか。

『マイナンバーはこんなに恐い!』等の著書がある自治体情報政策研究所(大阪府松原市)の黒田充代表は「メルアドも立派な個人情報。メルアドだけで個人を特定できる場合も多い。膨大な個人情報を持つ府がメルアドを氏名、住所などと結びつけることも可能。QRコードをスマホで読み込みメルアドを登録することで、このイベントにこの日時に来たといった行動履歴の個人情報を府に知らせることになる。本人からの同意を得るなどを、再検討すべき」とする。

コロナ追跡システムへの懸念を府政担当の大手新聞社の記者に話すと「そうなんですよね」と同意してくれた。それなら書けばいいのにと思うが、記者たちは、大阪府立生野高校ラグビー部出身で体力にも優れる吉村知事が矢継ぎ早に打ち出す会見内容を伝えるのが精いっぱいで吟味する余裕がない。橋下知事時代と同様の危うさを感じる。(ジャーナリスト 粟野仁雄)

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