JR灘駅の南、神戸市の繁華街に近い中央区脇浜町に神戸朝鮮初中級学校がある。
あの日の大地震で築33年の鉄筋4階建ての校舎は全壊した。にもかかわらず、震災直後の校庭には150人を超す避難者が詰めかけた。うち100人ほどが近所の日本人で、指定された避難所が遠いので近くの朝鮮学校に避難してきたのだ。学校側はスクールバスを出すなどして迎え入れた。
避難者の中に、町内副会長だった北川嘉宏さん(故人)がいた。自宅は市道を挟んで朝鮮学校の向かいだったが、40年間一度も足を踏み入れたことがなかった。生徒の母親からおにぎりを手渡されるなど親切にしてもらったお礼にと、学校関係者と一緒に救援物資の配給などにあたった。
生前、北川さんはこう言っていた。「これからの日本を背負う若者たちには正しい歴史を知ってほしい。知り合うことで朝鮮人に対する差別もなくなっていくと思います。私もそうでしたから」
朝鮮学校は、日本の学校教育法第1条で定める「正規の学校」(1条校)と認められていない。授業は朝鮮語だが、日本語の授業もある。カリキュラムも日本の学校に準じている。にもかかわらず、経理学校や簿記学校などと同列の各種学校扱いなのだ。
25年前のあの日、関東大震災で起きた朝鮮人虐殺が繰り返されるのではないかと恐れた在日コリアンもいた。だが、被災地の朝鮮学校では、在日コリアンと日本人がともに助け合って苦難を乗り切ろうとする光景が見られた。
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