「韓国はなぜ、徴用工問題にこだわるのか」うずみ火講座

官斡旋が行われた42年2月には、炭鉱以外の業界も労働力不足が顕著になり、石炭、鉄鋼、鉱山の三統制会及び土木工業協会と協議し、特に鉄鋼工場がある都会への強制連行が開始された。割当募集時の逃亡に悩んでいたので、軍隊式の組織を編成し、逃亡を防ぐため、相互監視、連帯責任を負わせている。
この時期、朝鮮北部でも工業化が進んでおり、朝鮮でも十分稼げる時代だった。

1944年末の各都道府県別「集団移入労務者数」の調査によると、①北海道5万6808名②福岡4万7806名③長崎2万474名④兵庫1万3236名⑤大阪1万3146名⑥福島⑦佐賀⑧山口……⑩東京
炭鉱以外で4、5位が兵庫と大阪。兵庫は金属鉱山関係が25%ほど含まれ、工場や港湾、運輸などに従事させられる「都会型強制連行」は大阪が最多だった。
というのも、「大阪陸軍造兵廠」の存在が大きい。敗戦時には7万人近くの従業員がいて、下請けも入れれば50万人が働いていた。大砲・砲弾製造を主とする兵器工場で、鉄鋼業の中心地だった。
国民徴用令による徴用が始まると、徴用忌避者や逃亡者には罰則を適用できるようになる。それまでの割当募集や官斡旋で連行された者に対しても「現員徴用」(特定企業・業務の従事者を事業主もろとも徴用すること)をかけることがあった。日本製鉄も現員徴用をかけたので、昨年10月末の韓国大法院判決で勝訴した原告の李春植氏も「徴用者」である。
大阪特殊鋼の名簿が残っていて、徴用は44年9月からなのに、45年3月に入所した朝鮮人が官斡旋とある。なぜ、徴用と並行して行われたのか。徴用は国家が命令するものだから、国家が補償しなければならない。危険なところでは国に迷惑がかかるから。この時期、徴用より割当募集や官斡旋の方がひどい強制連行方式だったと言える。

戦後、日本政府などによる韓国人被害者に対する第2の加害について見てみたい。
サンフランシスコ講和条約で連合国は、日本に対して侵略責任は問うが、植民地支配の責任は問わなかった。連合国にとっても自国に返ってくる事柄だから。韓国は参加を希望しながら、オブザーバー参加にとどめられた。
冷戦構造の中でアメリカは東アジア反共体制を構築するため、日本をその中心に位置付けた。そのためには日本の経済発展が重要となり、賠償などの負担の軽減を図る。東南アジア諸国に対しても「経済協力」方式を強制した。日本のものをあげて日本人を使い、日本の税金を使って日本企業が儲ける仕組みだ。

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