石垣島の潮平正道さん 鉛筆画で伝える戦争

訓練は米軍上陸を想定したもの。沖縄本島では実際に、鉄血勤皇隊の学徒たちが突撃を命じられた。戦車に体当たりして多くが犠牲になった。

石垣島に米軍は上陸せず、地上戦はなかった。だが、「もう一つの沖縄戦」といわれる「戦争マラリア」に見舞われた。風土病のマラリアを媒介するハマダラカが生息する山中などへの「強制疎開」が原因。八重山諸島全体の死者は約3600人。潮平さん自身も罹患し、かろうじて生き延びた一人だ。

疎開の軍命は45年6月1日。住民は指定された山中への移動を余儀なくされた。潮平さん一家は於茂登(おもと)岳山ろくの「白水(しらみず)」へ。出入り口では軍が24時間監視していた。ジャングルの中の粗末な小屋での生活。住民は次々とマラリアに罹患した。

戸板に乗せた遺体を運ぶ家族。むしろでくるんだ遺体を運ぶ男性――。「鉄血勤皇隊の作業や訓練を終えて夕方白水に戻ってくるとき、山の入口で毎日のように見た光景です。むしろにくるまれた遺体は孫で、お祖父さんが担いでいました。若い男性は兵隊にとられていますからね」

なお「戦争マラリア」は95年、国が軍命を認め慰霊碑を建立、戦争マラリアの実相を伝える八重山平和祈念館が開設された。だが、地上戦がなかった八重山では、米軍による映像、写真などが存在しない。祈念館の展示資料の多くは潮平さんが手がけた。当時を伝えるイラストや避難小屋の模型。闘病する母子のジオラマは、亡くなったおばといとこをモデルにした。

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