韓国3・1独立運動100年 民主化原点の刑務所

日本の植民地支配に抵抗して起きた「3・1独立運動」から100年を迎えた3月1日、韓国ソウル市内でさまざまな記念行事が行われた。ソウル中心部の光化門(クァンファムン)広場で開かれた政府式典では、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が1万人の市民を前に演説した。一方、日本政府は韓国への渡航者らに「反日デモが行われる場所に近づかないように」という「スポット情報」を出した。                     (矢野宏)

「100年前のきょう、我々は一つでした。南も北もありませんでした」。そう切り出した文大統領は、前日ベトナム・ハノイで決裂した第2回米朝首脳会談に触れ、朝鮮半島の平和について述べた。
「わが政府は米国、北と緊密に意思疎通しながら協力し、両国間の対話の完全な妥協を必ず実現させてみせます。我々が抱く朝鮮半島平和の春は、他人が生み出したものではありません。我々自ら、国民の力で生み出した結果です。統一も遠くにあるのではありません。違いを認めながら心を一つに、互恵的な関係を築けば、それがまさに統一です」
さらに、元徴用工への賠償問題や韓国国会議長の天皇への謝罪要求などで悪化の一途をたどる日韓関係について、「過去は変えられないが、未来は変えることができる」と呼びかけ、こう結んだ。「歴史を鑑として韓国と日本が固く手を握る時、平和の時代が我々に近づく。力を合わせて被害者の苦痛を実質的に癒す時、韓国と日本は心が通じ合う真の友人となるでしょう」
これに対し、日本政府は「韓国内で市民団体などによるデモが行われる可能性がある」として、韓国に滞在する邦人らに対し、近づかないよう呼びかけた。

韓国では3月1日を「三一節(サミルチョル)」として国民の休日となっている。
100年前の3月1日、ソウル中心部にあるタプコル公園で、すでに逮捕された宗教

指導者に代わって学生代表が独立宣言書を朗読。公園に詰めかけた約5000人の市民から「独立万歳」の声が上がり、韓国国旗を持って市内をデモ行進した。口々に「独立万歳」と叫ぶデモの隊列は市民らが次々に加わり、数万人の規模に膨れ上がった。その後、朝鮮半島全体へと広がり、2カ月あまりで当時の朝鮮の人口の1割にあたる200万人が参加したという。
背景に何があったのか。韓国併合から9年後、朝鮮総督府の武力支配によって土地を奪われ、二流市民、三流市民として扱われた。天皇崇拝や日の丸掲揚が義務づけられ、民族教育も弾圧された。
理不尽な暴力支配からの自由を求めて立ち上がった民衆を、朝鮮総督府は軍隊を投入して弾圧していく。7500人が殺害され、1万6000人が負傷。逮捕・拘束された人は4万6000人ほどに達した。その一方で、朝鮮人の攻撃で負傷した日本人は一人もいなかったという。
後に「韓国のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる柳寛順(ユ・グァンスン)は友人たちとデモに加わった。憲兵隊による発砲で両親を亡くし、自身も警察に連行される。収監されたソウルの西大門(ソデムン)刑務所で度重なる拷問を受け、16歳で獄死したという。
独立運動の参加者が獄死したことで知られる西大門刑務所を訪ねた。1908年に完成、第2次世界大戦後もソウル刑務所と名前を変え、軍事政権時代には数多くの民主化活動家が投獄された。98年からは歴史館として一般公開されている。この日は100年前に使われた独立宣言書を朗読した後、「独立万歳」が繰り返された。

2階建てレンガ造りの獄舎など10数棟や死刑場、死刑囚の獄舎群などがあり、重苦しい空気を漂わせている。
獄舎は監獄の部屋や独房などが見学できるよう開放されている。通路の両側に監房が約10室ずつ並び、2階で看守が監視する様子が再現されていた。柳寛順が収監されていた女獄舎8号監房も公開されていた。
敷地の隅には高さ5㍍の塀に囲まれた木造の小屋があった。この刑務所をはじめ、韓国全土で死刑宣告を受けた人の絞首刑が行われた死刑場だ。内部をのぞくと執行立会人が座るスペースの前に、死刑囚のイスが置かれ、その上から縄がぶら下がっている。入口脇には、連行される死刑囚がすがりついたと言われる「慟哭のポプラ」と呼ばれる木が立っていた。
死刑場の後ろには遺体を刑務所の外にある共同墓地におくための通路「屍躯門(シグムン)」もあり、独特の雰囲気に包まれている。

韓国留学中の75年に北朝鮮のスパイとして国家保安法違反罪などで起訴されて死刑判決を受けた「在日韓国良心囚同友会」会長の李哲(イ・チョル)さんもこの刑務所に収監された。当時の韓国政府は「学生らの韓国民主化運動は北朝鮮のスパイが操っている」とでっち上げ、拷問で「自白」を強要した。李さんは死刑囚として3年半、この刑務所で「その日」を待つ生活を送った。
「3・1独立運動に加わり、祖国の民主化のために処刑された先人のあとに、自分もついていくという思いで過ごしていました。不当な裁判であり、不当な死刑判決だったけれど、潔く自分もその時を迎えようと揺れ動く気持ちを抑えていました」
その後、李さんは減刑され、88年に釈放されるまで、獄中生活は13年に及んだ。ここ数年、3月1日を韓国で迎えているという。
「3・1独立運動は80年の光州事件や87年の民主抗争など、軍事独裁政権からの解放を求めた民主主義運動の根源。一人でも多くの日本人に知ってもらいたい」
(大統領メッセージの訳・ソウル在住のジャーナリスト徐台教=ソ・テギョ=さん)

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