フクシマ後の原子力 科学者は本来の役割を

7月16日。私にとって忘れてはならない日の一つだ。1945年のこの日、アメリカで人類初の原爆実験が行われた。「トリニティ実験」と呼ばれるこの爆発によって原爆が完成し、約3週間後に広島、その3日後には長崎にそれぞれ投下され、何十万もの命が一瞬にして奪われたのだった。人類が、核というパンドラの箱を開けた日なのである。

 

このトリニティ実験について、オンライン百科事典のウィキペディアに次のような記述がある。「トリニティ実験の結果を観察する研究者たちの間では爆発の大きさについての賭けが行なわれた。予想には『0(不発)』から(中略)『ニューメキシコ州を破壊』、『大気が発火して地球全体が焼き尽くされる』というものまであった」。これが事実ならば、当時の科学者たちは人類が滅亡する可能性を含みながら、実験を行ったことになる。

この実験後、原子力関係の科学者は大きく二つに分かれていったと思う。核を利用したい政治と強く結びつく科学者(いわゆる御用学者)と、トリニティ実験を教訓として、核の危険性を訴えるための研究に向かう科学者だ。そして、当然のことながら前者が「主流」となって今日にいたっている。そのことが、私たちの社会にどれだけの悪影響を与えてきたか、今日の世界の状況を見れば明らかであろう。

政治は巧みに利用

人々は「専門家」「科学的」という言葉に弱い。専門的知識を持つ人間が「科学的」に示す見解や数字を、時には無批判に信じてしまう。そして、それを政治は巧みに利用してきた。かつて青森県で核燃料サイクル施設についての国の説明会が開催された際、「危険性を指摘する専門家がいるが、大丈夫なのか」という質問が出た。それに対し、国の担当者は「学会に認められていない方を専門家とは考えていない」と言い放ったのである。

科学者の側も、本来は科学的に扱われるべき仮説やデータに「政治的」な忖度を加えることがしばしばとなっていく。科学的な根拠に基づいて説明すべき場で、あたかも政治家のような発言をする「科学者」もいた。

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