原発事故9年 今中さん講演 後始末は百年計画

3月のうずみ火講座は14日、京都大学複合原子力科学研究所(旧原子炉実験所)研究員の今中哲二さんを迎え、大阪市西区の市立西区民センターで開講した。今中さんは、原発の危険性を訴えてきた研究者グループ「熊取6人組」の一人。東京電力福島第一原発事故から9年。「福島第一原発と放射能汚染のいま」と題し、解説してもらった。講演要旨をお届けする。(まとめ・栗原佳子)

9年前の3月11日、福島第一原発6基のうち1、2、3号機が運転中だった。原子炉運転員の緊急事態時のスローガンは「止める・冷やす・閉じ込める」。地震で自動的に原子炉に制御棒が入り、核分裂の連鎖反応は止まった。地震でやられた外部電力に代わり非常用発電機が動き出したが、それも津波で水をかぶってしまった。冷やすことに失敗し、閉じ込めることにも失敗した。12日に1号機、16日には3号機が水素爆発した。2号機は1号機が爆発した時に外壁に穴が開き、水素が漏れたため爆発はしなかった。しかし15日に格納容器が壊れたらしく、放射能の放出が一番多かったのがこの日だった。

1平方メートルあたり1万ベクレル以上、セシウム137に汚染された面積は約2万5000平方メートル。本州の約1割にあたる。1万ベクレルという数字は、それなりに無視できない汚染が起きているということ。東京のサンプルもたくさん測っているが、東京もセシウムだらけだ。

事故から1カ月以上たって避難指示が出た飯館村で調査を続けている。人口約6000人の村に3000億~4000億円の除染費用が投じられた。住民のいない村に毎日6000人の作業員が通っていた。それはもうすごかった。去年までの8年間で飯館村の放射線量は20分の1になったが、事故前に比べると10倍~20倍の放射線量が続く。セシウム137は15%しか減っていない。半減期は30年。50年、100年先を考えていかないと村は元に戻らない。

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