異臭放つごみの山
「風向きが変わると悪臭が家の中にも漂って、精神的におかしくなりそうです」
小菅文枝さん(55)は夫と息子の3人暮らし。被災家屋の2階で生活しているが、向かいの公園が災害廃棄物の集積場だった。
冷蔵庫や洗濯機、テレビなどの家電のほか、水を含んだたんすや畳、泥だらけの布団、自動車のタイヤなども捨てられており、公園を囲んでいるフェンスも外へ大きくゆがんでいた。生活ごみも持ち込まれているようで、カラスが飛び交っている。
すでに満杯のため、「ごみを捨てないように」という注意書きを設置しているが、ごみを捨てに来る人は跡を絶たないという。
「先日も捨てに来た男性に注意すると、『俺も被災者なんじゃ』と言われ、何も言い返せませんでした。衛生面もですが、火災が発生しないか心配です」
市による撤去が追い付かず、地区内の公園はどこも満杯状態。災害ごみは自宅前にも積み上げられている。
環境省によると、西日本豪雨の約190万トンを大幅に上回る災害ごみの発生を予測しており、広域処理を進めても処理には2年以上かかるという。
いきなり避難指示
夏井川の氾濫で亡くなった8人は自宅での溺死だった。なぜ、逃げ遅れたのか。
「10月12日午後、夏井川以外の河川は早い段階から『今夜中に氾濫の恐れがある』などと避難勧告が出されていましたが、夏井川に関しては一言もなかった」と、下平窪地区の半沢紘(ひろし)さんは振り返る。
夏井川の市内上流部では、避難勧告を出すための水位に達したのが午後7時20分ごろで、下流部では午後9時前ごろだったが、結果的に避難勧告は発令されなかった。それを飛ばす形で、一段階上の「避難指示」が出たのが上流部で午後8時半、下流部では午後9時40分だったという。
しかも、「雨も止み、夜空に月も出ていたので、安心して床に就いた人も少なくなかったのでしょう」と、半沢さんは指摘する。
「夏井川は支流の川と比べて川幅も大きく、増水するとは考えていなかったのではないか。上流で大量の雨が降ると、数時間後に水かさが急激に増えます」
半沢さんはトイレの水が逆流する音を聞いて氾濫を察知して避難したが、逃げ遅れた人も少なくなった。
「市は『避難指示を出した』と言いますが、聞いたとしても、まさか数時間後に堤防が決壊するとは思わなかったでしょう」
応急的な復旧作業が進められる夏井川の堤防を歩きながら、半沢さんは堤防管理のお粗末さを指摘する。「この国がダムばかり造って堤防の強化に力をかけてこなかった結果でしょう」
失われた遊水機能
夏井川の支流・好間川も氾濫し、久保町の住民を襲った。1910(明治43)年7月にも大規模水害があったという記録を「山田屋醸造」5代目の青木貴司さん(46)が保管している。「これを記した青木栄吉は、私の曽祖父です」
好間川に近く、地盤も低いため、昔から水害が懸念されてきた。
「私たち住民が何もしてこなかったツケです」というが、要望書を提出してきた。だが、行政を動かすのは至難の業だ。
しかも、ここ数年、農地の宅地化が進んだ。「怖いなあ」と、青木さんは眺めていたという。
「地権者が田んぼを住宅メーカーに売る。宅地化された物件を、原発事故の避難者が購入する。でも、田んぼは『遊水地』。なくなれば豪雨被害を軽減できなくなるのです」
山田屋醸造は昔ながらの製法で味噌・醤油を製造している。作業場には、30㌔入りの味噌樽を積み上げていたが、一番下に置いていた28個の味噌樽が浸水し、800キロ分の廃棄処分を余儀なくされた。
「それでも――」と青木さんは言う。「1,5トンを廃棄した東日本大震災を体験していたので、気構えはできていました。ただ、水は厄介だなと思いました」