「熊取6人衆」小林圭二さん偲ぶ会 反原発支えた知的誠実

原発の危険性を指摘し続けてきた京都大学原子炉実験所(現・京都大学複合原子力科学研究所)の科学者「熊取6人衆」の一人で、5月27日に死去した小林圭二さん(享年80)を偲ぶ会が7月14日、大阪市中央区のエルおおさかで開かれた。                     (高橋宏)

偲ぶ会は、小林さんと30年来「熊取6人衆」として共に活動をしてきた今中哲二さん、「ストップ・ザ・もんじゅ」代表の池島芙紀子さん、「反原発福井県民会議」共同代表委員の中嶌哲演さんら有志5人が呼びかけたもので、今中さんが司会を務めた。
主催者挨拶で池島さんが「亡くなられてから1カ月半、今日の準備を進めてきたが、小林さんの人望の厚さ、人脈の広さを改めて実感した」と述べたように、全国から約160人が集まり、小林さんの遺影が掲げられた会場を埋め尽くした。参加者で黙祷を捧げた後、愛娘の里さんが小林さんの闘病の経過を報告した。 パーキンソン病の発病、膵臓がんの発見、そしてがん再発と低血糖症との闘い……。この10年余りの闘病生活が語られ、病をおして反原発の活動を続けてきた小林さんの生き様が浮き彫りになった。
小林さんの講演をまとめたDVDが上映された後、特に所縁の深かった12人が次々とマイクを握り、「お別れの言葉」を述べた。呼びかけ人の一人で、小林さんと大学の同期として60年安保を一緒に闘った「反戦反貧困反差別世話人」共同代表の新開純也さんは「安保闘争が彼の原点で、大衆こそが世の中を変えるということが信念になった」とし、「全共闘運動以来、学問とは、科学とはということを問い続け、伊方反原発運動からイデオロギーではなく生活という視点を持った」と、小林さんが反原発運動に力を注いだ原動力を明らかにした。


海渡雄一弁護士は「もんじゅ訴訟」に関わることに小林さんが迷っていたエピソードを紹介した上で、いざ関わってからは多くの資料を丹念に詠み込んだ上で裁判の証言に立ち、「知的誠実さが当時の判事を動かして、原告勝訴の判決を導いた」と述べた。また、12人の誰もが「笑顔が優しい(かわいい)」小林さんの人柄に触れ、心から別れを惜しんでいた。
遺族を代表して小林さんの兄の修平さんが「圭ちゃんがこんなにも皆さんに愛されていたということを感じ、嬉しく思った」と述べ、「今日は本当にありがとうございました」と深々と頭を下げた。
最後に、呼びかけ人の一人である毎日新聞記者の大島秀利さんが閉会の挨拶をして、偲ぶ会は幕を閉じた。参加者一人ひとりが、小林さんの偉業を振り返ると同時に、反核・反原発の決意を新たにできた集まりとなった。
小林さんに大変お世話になった新聞うずみ火も、心から感謝しご冥福をお祈りするとともに、その遺志を引き継いでいきたいと思う。

 

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