フクシマ後の原子力 「安全神話」無謀再び

新型コロナウイルスの感染拡大防止を名目に、緊急事態宣言が出されて日本社会は完全にマヒ状態となった。期間は5月の連休明けまでとされてはいるものの、その先については全く不透明であり、私たちは不安といらだちにさいなまれながらの生活を余儀なくされている。私たちはまさに未曽有の危機に直面しているわけである。

危機的な状況に置かれると、国家権力やその中枢に関わる人々の本性が露骨に表れる。日本で最初に新型コロナウイルスの感染者が明らかになったのは、3カ月以上前の1月16日だった。それ以後の安倍政権の対応は常に後手後手であったばかりか、400憶円以上をかけた布マスクの配布が象徴するように、対策は「やっている感」の演出に終始している。そして、世論調査における支持率の低下を受けて、しぶしぶ1人当たり10万円の一律給付を決めるというありさまだ。
今の政権が誰のために、何のために私たちが収めた税金を使おうとしているのか、もはや誰の目にも明らかである。安倍政権にとって税金は、私たちから「吸い上げた」もので、それは自分たちを含めた一部の権力者が自由に使えるものでしかなかったのだ。

私たちの命や生活よりも、大企業を中心とした経済活動やオリンピック、そして政権の維持が優先されてきた結果が、今の状況を招いていることに、私たちは本気で怒り、危機意識を持たねばならない。そうでなければ、文字通り多くの主権者は政権の具に過ぎない存在になってしまうだろう。

それにしても、いつから日本はこのような社会になってしまったのであろうか。なぜ安倍政権が長きにわたって続き、好き放題の無茶苦茶ぶりを発揮できたのであろうか。その責任の一端が、私たち一人ひとりの主権者にあることは間違いない。今回の新型コロナウイルスによってもたらされた危機を、どのように乗り越え、その反省に立ってどのような社会を目指すのかが今こそ問われている。

被災者今も5万人

ところで、緊急事態宣言が出されるほどの未曽有の危機……10歳以上の主権者は既に経験済みであることを覚えているだろうか。そう、今から9年前に起こった福島第一原発事故である。2011年3月11日、東日本を襲ったマグニチュード9・0の巨大地震と、それに伴う大津波によって全電源喪失に陥った福島第一原発は、1号機から4号機が次々とメルトダウンや水蒸気爆発を起こし、環境に放射能をまき散らしてしまう。国際的事故尺度では、1986年のチェルノブイリ原発事故と並ぶ最高尺度のレベル7という、人類史上最悪の原発事故だった。

この未曽有の危機に際し、当時の政府は、「原子力緊急事態宣言」を発令する。原発から20キロ圏内の警戒区域では約7万8000人、20キロ以遠で年間積算線量が20ミリシーベルトを超える計画的避難区域で約1万1000人、20〜30キロ圏内の緊急時避難準備区域で約5万9000人が避難対象とされ、そのうち約8万8000人が強制的に避難させられた。放射能汚染は東日本の広範囲に及び、避難対象とされなかった地域からも多くの人々が「自力避難」を余儀なくされたのである。

復興庁のデータを見ると、約1年後の避難者数は約34万4000人、避難先は全国47都道府県に及んでいる。原発事故によるものだけとは言えないものの、膨大な数の人々が避難生活を強いられた。そして、今年3月末でもなお、全国の避難者は約4万7000人いるのだ。放射能汚染で広範な地域が「人の住めない土地」となり、私たちは「原発震災」の恐ろしさをまざまざと見せつけられたのであった。多くの人々は意識していないかもしれないが、原子力緊急事態宣言は現在も解除されていない。

福島第一原発事故は、私たちに様々な教訓をもたらした。何よりも「原子力安全神話」が崩壊したことで、私たちは日本の原子力政策を見直す機会を得たはずであった。故郷を追われ、厳しい避難生活を送る人々を支えられる社会とはどのようなものか、真剣に考えることを迫られたはずであった。だが、事故から9年余りが経過した現在、それらは日本社会にいかされているであろうか。気がついてみれば原発は次々と再稼働され、収束とは程遠い福島第一原発が立地する双葉町ですら、帰還困難区域の一部が解除されている。

除染とマスク配布

除染によって生み出された放射性廃棄物や、事故現場でたまり続ける放射能汚染水の処理についても、新たな「安全神話」に基づいて再び住民に犠牲を強いるような政策が立案されている。ほとんど事故前の状況に戻ってしまったかのような現実が横たわっているのだ。

一方、今回の新型コロナウイルスをめぐる経緯は、9年前と多くのことが重なって見えてくる。現在私たちが強いられている「自粛」は、事故直後の計画停電を思い起こさせる。巨額の費用をかけたマスクの配布は、効果が疑問視される中で続けられた除染を想起させる。何かがおかしい、ということに私たちは再び気づく機会を得たわけだ。

この新連載では、改めて福島第一原発事故を振り返るとともに、その後の日本の原子力政策をめぐる様々な動きを追いかけていく。事故から得た教訓は果たしてどこまでいかされているのか、原子力利用を続け、放射能に耐えていかねばならない私たちに、どのような未来が待ち受けているのかを、読者とともに考えていきたい。そして、未曽有の危機を経験した私たちが、それを踏まえてどのような社会を目指していくべきかを問いたいと思う。(高橋宏)

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