済州4・3事件71年 慰霊碑建て大阪で追悼

事件で命を落とした島民は10人に1人。武装蜂起に対し、米軍政は軍隊を投入して鎮圧。その年成立した李承晩政権による焦土化作戦は、軍と警察、右翼団体による島民の大虐殺へと発展した。それは54年9月まで続いた。

しかし事件は韓国でタブーとされ、80年代後半の民主化で真相究明の動きがようやく高まった。2000年、真相究明と犠牲者の名に関する特別法が制定され、03年、慰霊祭に大統領として初めて盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏が出席、国家の責任を認め正式に謝罪した。昨年の慰霊祭では文在寅(ムン・ジェイン)大統領がさらなる真相究明を約束した。

今年の慰霊祭には閔鉀竜(ミン・ガブリョン)警察庁長官が参列、「再びこのような悲劇が繰り返されないよう国民に献身する警察に生まれ変わる」と追悼の辞を述べた。国防省も事件について遺憾の意を表明した。警察と軍が事件の遺族らに謝罪したのは初めて。参列した大阪遺族会の呉会長は「謝罪は評価するが、警察や軍は記録を積極的に開示し自らが何を行ったのか明らかにしてほしい」と話す。

 

なお4月28日午後2時から同じ統国寺で遺族会などの主催で「4.3慰霊祭」が開かれる。
(栗原佳子)

 

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