フクシマ後の原子力 科学者は本来の役割を

福島第一原発事故後、国が定めた20ミリシーベルトという基準について、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一長崎大教授(当時)は説明会で次のように述べている。「国の基準が20ミリシーベルトと出された以上は、我々日本国民は日本政府の指示に従う必要があります」。20ミリシーベルト以下なら安全だという根拠は示さず、「グレーゾーンでどこに線引きをするのかを議論」しているとしたのだ。

一方、原発事故の国の対応を批判した東京大先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授(当時)は「人々が専門家に求めていることは折り合いをつけることではなくて、危険なことは危険だと伝えることだ」と主張している。はたして、どちらが科学者であると言えるのかは一目瞭然だろう。

だが、児玉教授や「熊取六人衆」をはじめとした科学者たちの提言は、政治の世界では黙殺され、政策に反映されることはなかった。その結果、人々は将来に不安を抱えながら20ミリシーベルト以内の地域に住み続けるか、「自力避難者」を余儀なくされている。


今、世界中で新型コロナウイルスが猛威をふるっている。日本でも、第2波の可能性を感じさせるほど、感染者が増え続けている(7月19日現在)。私には、新型コロナウイルスをめぐる状況は、福島第一原発事故をめぐる状況の再現を見ているような気がする。

「目に見えない」ことではウイルスも放射能も同様だ。そして、未知の部分が多いことも共通している。国の政策が、信頼できる科学的根拠に乏しいために、差別や偏見、そして不安を生み出している点も瓜二つである。「夜の街」「若者」「東京」などのキーワードを、国や行政が積極的に用いて差別や偏見をもたらしていることを考えると、原発事故後よりもひどい状況かもしれない。

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