堺空襲犠牲者追悼会 「後世に」バトン託す

この日の追悼式で、堺市堺区の増栄(ますえ)康子さん(88)は初めて自らの空襲体験を語った。

高津国民学校6年の時、卒業式に出席するため疎開先から戻った45年3月13日に大阪最初の大空襲に遭った。「家族ばらばらに逃げました。B29は操縦士の顔もはっきり見えるほど低空飛行し、焼夷弾をばらまくのです。直撃を受けて即死された人も目の当たりにしました」

4カ月後、避難してきた堺で2度目の空襲に見舞われる。「土居川の周辺には龍神遊郭がありましたが、焼夷弾の直撃を受けて火の海になり、着物に火がついて火だるまになった遊女が水を求めて近くの土居川に飛び込んだのだと思います。水が見えないほど、黒焦げになった丸太のような死体で埋まっていました。地獄絵図さながらの光景が今も脳裏に焼き付いています」と振り返り、こう締めくくった。「戦争体験者の私たち世代も残り少ない命となりました。この史実を後世に伝えていっていただきたい。このバトンを皆さんにお渡しします」

このあと、市民はろうそくをともしたグラスを殉難之地の碑の前に捧げ、犠牲者の冥福を祈り、悲惨な歴史を風化させないことを誓った。

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