短大新入生に犯罪被害者講演 前向いて生きる大切さ

「その瞬間、何か頭の上から大きなもので押さえつけられ、息ができなくなるぐらいに胸が押しつぶされたような感じになりました。妻の『ワ―ッ』と泣き崩れる姿を横で感じ、嗚咽が涙とともに止まりませんでした。家族が今まで生きてきた中で、最もつらく深い悲しみに包まれた一日となりました」


加藤さんは警察でバラバラにされた遺体の一部を見せてもらった。「黒っぽく変色した肉片でした。手に持ったら、娘が生まれて抱いた時よりも軽かった。どうしてこんな目に遭わなければならなかったのかと思うと、つらかった……」
翌朝から記者が押しかけ、外出もままならない日々が続いたという。

死刑執行されても

「死を迎える瞬間に娘は何を思ったのか。『お父さん、助けて』と思っていたかもしれない。それなのに、助けてやれなかった自分の無力さを思うと、また涙があふれてきました。加害者は娘の命だけでなく、婚約者の将来も、私たちの小さな幸せも未来も奪ってしまった。あの男をこの手で殺してやりたいと、それだけでした」
裁判員裁判が始まったのは、事件発生から1年4カ月後のこと。加藤さんは「ものを言えぬ娘に代わって闘う」ことを誓っていた。仕事を週3日

だけにして、4日間は裁判に関する情報集めに充てた。何冊もの法律書を読み込んだ。加害者の精神疾患を指摘されても理解できるよう医学書まで目を通し、出廷した。
裁判では、殺害された被害者が1人で死刑を適用されるかどうかが争点となったが、加藤さんは「死刑以外に考えられなかった」と振り返る。
13年5月、検察側の求刑通り、死刑が言い渡された。加害者は自ら控訴を取り下げたため、判決後1カ月余りで死刑が確定する。だが、加藤さんの心が晴れることはなかったという。
「娘が帰ってくるわけでもなく、何の感慨も抱かなかった」
刑を受け入れたが、反省しているとは思えなかった。加藤さんは加害者に対し、どれだけ娘を愛していたか、どれだけ大切に娘の成長を見守ってきたのかを手紙にしたためた。
面会も希望したが、死刑囚に面会できるのは両親だけと知り、あきらめた。
自分にできる償いをしてほしい。反省してから死んでほしい。結局、一度も反省の言葉を聞くことなく、17年に刑が執行された。

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