「元徴用工」原告女性の訴え 戦後も偏見の苦しみ

「死体を見て、自分もいつかはああなると。父や姉にも会えないまま死ぬのかと恐怖を感じました」

45年8月15日に戦争は終わったが、給料を一切手にすることはなかった。

身一つで帰国、家族と喜びの再会を果たしたのは2カ月後。姉も一足早く帰国していたが、切断機で指を負傷し、東南海地震で逃げる際に転倒し、足にけがをしていた。

戦後もまた過酷だった。韓国内では長く、「女子勤労挺身隊=日本軍軍慰安婦」という混同された情報が広まっていた。夫は金さんが挺身隊として日本に行ったことを知ると「慰安婦」と思い込んだ。何年も説明を尽くしたが溝は埋まらず、結局離婚した。苦しい生活の中で子どもを育てた金さん。強制動員されたことによって、金さんは人生そのものを狂わされたのだった。 元女子勤労挺身隊員が提訴するようになったのは90年代に入ってからだ。金さんは 2003年、未払い賃金の支払いなどを求めた不二越二次訴訟の原告に。一審富山地裁は被害実態を認めたものの、「日韓請求権協定」を理由に訴えを退けた。「1965年の日韓請求権協定で完全に最終的に解決した」という論理だった。日本での訴訟は敗訴で終わった。金さんらは13年、今度はソウル地裁に不二越を被告とした訴訟を起こした。一審に続き、昨年1月、二審ソウル高裁で勝訴。現在は大法院で審理中だ。

金さんは風呂敷包みいっぱいの裁判資料を見せてくれた。その中に、小学校の卒業証書があった。卒業式前に日本へ渡ったため受け取れなかった卒業証書。2008年に発行してもらったのだという。

不二越の株主総会や東京本社や富山工場に何度も足を運んだが、門前払いに近い対応を受けてきたという。

「安倍首相はいまも植民地支配をしているつもりでしょうか。不二越に謝罪して、賠償してほしいのです。明日死ぬかもわからない。時間がないんです。助けてください」

一昨年10月、韓国の最高裁・大法院が日鉄に対し元徴用工らへの賠償を命じた。翌11月には三菱広島と三菱名古屋に対し、同様の賠償命令が確定した。だが、企業側は賠償金を支払っていない。原告側は判決に基づき新日鉄住金、三菱重工の韓国内の資産を差し押さえた。原告の賠償金を確保するためのもので、昨年3月には金さんらの不二越訴訟をめぐっても、韓国の合弁企業の株式7650万円相当の差し押さえが認められている。

判決確定前の差し押さえは初めてのケースだ。

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