阪神・淡路大震災25年 動き出した「心の時計」

震災後、岡田さん夫妻は苦闘の連続だった。

プレハブの仮設店舗で商売を再開し、被災地の復興に夢を託した地酒「福倖酒」を売り出すなど、街の酒屋として再建を模索した。福倖酒を通して全国各地の人たちと出会い、支えられた。育代さんは「商いの原点は『愛』だ」と気づかせてもらったという。 だが、顧客の多くは遠くの仮設住宅に入居し、地域に人が戻ってこない。長男の日出雄さん(享年46)の助言もあって、コンビニエンスストアとして再出発するのは震災から5年7か月後。7人の地権者と資金を出し合って10階建てのマンションを建てた。1階部分がコンビニで、2階から上の階のマンションは市が被災者向けの復興住宅として借り上げてくれた。

「へこたれへん」

ようやく軌道に乗りかけたとき、店長として店を切り盛りしていた日出雄さんが事故死する。2012年8月、日出雄さんは店を出て原付バイクで自宅マンションへ戻る途中だった。パトカーの追跡を受けていた軽乗用車が信号待ちの車を避けようとして反対車線にはみ出し、日出雄さんの原付バイクと正面衝突したのだ。

亡くなる1カ月前に「2人で旅行でも行って来れば」とお小遣いをもらったが、葬儀代になったという。
膠原病を患っていた日出雄さんの妻も後を追うように亡くなり、2人の孫が残された。

さらに18年には、市と交わした「借り上げ復興住宅」の20年契約が切れ、賃貸マンションとして売り出さなければならなくなった。建築費の返済も残っており、改修費用を合わせると約5800万円に。それでも、育代さんは「ドラマは終わっていない。へこたれません」

その言葉通り、息子を失った悲しい8月に孫の沙也加さんが結婚。昨年6月には長男・快和(かいと)君を授かった。岡田さん夫妻にとって初のひ孫を抱いたとき、命のバトンが受け継がれたことを実感したという。


今年の1月17日午前5時46分、岡田さん夫妻は自宅で手を合わせた。以前、長田区の震災モニュメントで犠牲者名が刻まれたプレートを見た時、あらためてショックを受けた。知っている人ばかりで、心が沈んでしまったからだ。

「この時期になると、いろんなことがよみがえり、複雑な気持ちです。いつ何があってもおかしくない。死ぬまでドラマやね」

日出雄さんが亡くなったあと、不登校になっていた孫の亘起(こうき)君(21)も3月には大学を卒業し、社会人1年生となる。春はもうすぐそこまで来ている。

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