大阪で慰霊法要 空襲の記憶 語り継ぐ

太平洋戦争末期、8回を数える大阪大空襲で最も凄惨な無差別攻撃と言われる第3次大空襲から74年となる6月7日、旭区の城北公園にある「千人塚」近くの常宣寺で慰霊法要が営まれ、遺族や地元住民ら約70人が参列した。  (矢野宏)

 

74年前の6月、大阪は1、7、15、26日と4回の大空襲に見舞われ、街は焼け野原になった。大空襲とは、B29爆撃機が100機以上来襲した空襲のことで、大阪は8回を数える。
大阪大空襲は1945年3月13日深夜から14日未明にかけての第1次大空襲が広く知られているが、それを超える被害を出したのが6月の大空襲だった。B29による焼夷弾攻撃のほかに、当時世界最強と言われた戦闘機P51ムスタングが硫黄島から飛来し、逃げ惑う市民を狙い撃ちした。

7日の第3次大阪大空襲では午前11時20分から1時間半、409機のB29が来襲。大阪市北東部、都島区や旭区、淀川区、東淀川区、福島区、北区、豊中市などに焼夷弾と1トン爆弾を次々に投下し、138機のムスタングが低空飛行で機銃掃射を繰り返した。この日の死者2759人、重傷者は6682人に上る。

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